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第24章 学問と科学の定義と目的

これまでの講義で、論理的思考という基礎力を養い、論理的な問題解決という実践力を身に付けました。
そして、この論理的な思考と問題解決を支えるのは、正しい、つまり、真と言える客観的で確固とした事実や事柄です。今まで、そうした正しさは、ある程度所与のものとして扱ってきました。

今回からは、論理的思考でもふんだんに使われる、正しいとされる学問と科学の知が、どのようにその正しさを形成しているのかを学びます。
これによって、論理的思考が完全無欠ではないことが分かり、論理の強さを過信することなく、謙抑的に使えるようになるはずです。

目次
1 心構え
2 学問と科学の定義
3 学問と科学の目的
4 まとめ

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1 心構え

第 I 部 論理的思考では、論理的に考えるとはどういうことなのか、どうすればいいのかを基礎から学びました。
それを踏まえて、第 II 部 論理的な問題解決では、論理的思考を駆使して問題をどのように捉えて、解決することができるのかを学びました。
つまり、事実を基礎として、論理的な思考によって、物事を理解したり、解決したりする方法を身に付けたことになります。
これで、論理的に考えれば、既に分かっている確固とした正しい事実から、未知の事柄を推論することができます。

しかし、ここで1つの疑問が生じます。既に分かっている確固とした正しい事実は何故正しいと言えるのか、ということです。
論理的に考えることが、正しい事実を基礎かつ出発点としているため、この疑問は解決しておかないといけません。正しいことを前提として、正しい推論をすれば、結論は正しくなります。しかし、正しくない誤った前提から、正しい推論をしても、結論が正しいとは限りません。間違っていることの方が多いです。仮に、たまたま結論が正しかったとしても、前提が誤っているので、論理的には誤まりですし、意味のある主張にはなりません。

したがって、論理的な思考において、前提に置かれる正しいこと・事実といったものが、どのようにして正しいと言えるのかを今一度確認しておきます。そして、こうした正しいことを発見し組み立てていく営みこそが、私達が修めようとする科学であり、学問でもあります。
現代社会は、政府の決定にしろ、企業の経営の決定にしろ、学校の教育内容にしろ、学問的に研究された知に基づいています。こうした知は、今現在において、暫定的だとしても正しいとされているものです。

そこで第III部では、私達が論理的思考を用いる上で必要になる「正しい事実」が、学問的・科学的にどのようにして導かれているか、注意しておくべき限界は何か、ということについて学びます。
「お偉いさんが正しいと言っているから、正しいのだ」という権威主義的な受け入れ方をするのではなく、その正しさがどのように担保されており、また覆され得るのかということを知ることで、論理的思考をより正確に使えるようになるとともに、状況が変わったときに、従来の考え方に固執するのではなく柔軟に思考を変更できるようになるはずです。

それでは、学問と科学による正しさについて考えて行きましょう。

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2 学問と科学の定義

まず、学問と科学の定義からしておきます。

「科学」と言うとき、物理や化学、生物など、いわゆる理系的な学問のみを考える人も少なくありません。しかし、ここで言う「科学」は、射程をもう少し広くとって、知識や理論の証明方法、あるいは、説明方法がある程度確立しているものとしておきます。この理由については、後で詳しく触れます。

ともかく、科学と学問が意味するところは、ほぼ重なっており、この講義では学問=科学と考えても大きなズレは生じませんし、文系や理系という区別は、根本的には関係ないということを理解しておいてください。

それでは、学問あるいは科学とは何でしょうか。

学問あるいは科学は、「活動」そのものに注目するか、活動の「結果」に注目するか、この2つの異なる側面から捉えることで大きく2つに分けることができます。

1つ目の「活動」そのものに注目すると、「一定の目的と方法の下に行われる、様々な事象の研究活動」として定義できます。

学問・科学とは
活動=一定の目的と方法の下に行われる、様々な事象の研究活動

2つ目の「結果」に注目すると、「その研究活動の成果として得られる知識、その知識の体系や理論」と言えます。

学問・科学とは
活動=一定の目的と方法の下に行われる、様々な事象の研究活動
結果=その研究活動の成果として得られる知識、その知識の体系や理論

「科学をする」や「学問をする」と表現するときは、「活動」の側面に注目していることが多いです。
他方で、「科学的な知識」や「学問的な見地」といったときには、「結果」の側面に注目していることが多いです。

このように、学問あるいは科学は、「一定の目的と方法の下に行われる、様々な事象の研究活動であり、その研究活動によって得られる知」ということになります。
逆に言えば、「一定の目的と方法の下に行われる」ものでないならば、学問や科学とは言えません。

つまり、学問と科学の本質の2本柱は、「一定の目的」と「一定の方法」であることが分かります。
そして、「一定の目的」と「一定の方法」の下に行われる「様々な事象の研究活動」であるならば、学問と科学と呼ぶにふさわしいことが分かります。この2本柱が学問と科学を成り立たせていることになります。

そうすると、「一定の目的と方法」とは何なのかを知らないと、学問や科学とは何かが分かりません。したがって、まず「一定の目的」から、その内容を見て行きます。その後、次の章で、「一定の方法」にいついて考えることにします。

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3 学問と科学の目的

それでは、学問や科学の目的とは何でしょうか。
この目的に関する問いは分野によって多様なので、具体的に一つに絞ることはできません。しかし、抽象的・観念的に目的を設定するとしたら、「真理の追究」が目的だと言えます。
「真理」という言葉も分野によって使われ方が多様ですが、一般的には、「何時どんな時にも変わることのない正しい物事・事柄・道筋」といった意味で使われます。

真理の定義
何時どんな時にも変わることのない正しい物事・事柄・筋道

ここで、「何時どんな時にも変わることのない」という文言を「今現在における」と変更します。

真理の定義
何時どんな時にも変わることのない正しい物事・事柄・筋道
今現在における、正しい物事・事柄・筋道

現代社会では、普遍的な真実があったとしても、人間にはそれが認識できないか理解できないということが、広く受け入れられているからです。
今現在において、私達が正しいと判断している知識でも、日々更新されていることに意識を向ければ、「何時どんな時にも変わることのない」とはとても言えないことが分かるはずです。

さらに、「今現在」という言葉から分かるように、今現在正しいと思われていることも将来は誤りとなるかもしれないことを含んでいます。過去では正しくないと思われていた事柄が、今現在では正しいものだと認識されるようになったことがあったことからも納得行くきます。将来、今現在正しいと思われていることも、実は誤りであって、本当に正しいことは別にあるということがあり得ます。

つまり、「正しい物事・事柄・道筋」は変化し得るものなので、「正しいとされる物事・事柄・道筋」と修正します。

真理の定義
何時どんな時にも変わることのない正しい物事・事柄・筋道
今現在における、正しい物事・事柄・筋道
今現在における、正しいとされる・・・・物事・事柄・筋道

しかも、「正しいとされる物事・事柄・道筋」は「今現在」のものであり、常に変わって行っているものになります。
したがって、すべてのことが1つの正しいことに確定できているとは限りません。
例えば、2つ以上の説が存在しており、どちらが正しいかは断定できないが、より正しいと思われているものを採用していることもあります。

これを踏まえて、「正しいとされる物事・事柄・道筋」は、「より正しいとされる物事・事柄・道筋」と修正しておきます。

真理の定義
何時どんな時にも変わることのない正しい物事・事柄・筋道
今現在における、正しい物事・事柄・筋道
今現在における、正しいとされる・・・・物事・事柄・筋道
今現在におけるより正しいとされる・・・・物事・事柄・筋道

以上をまとめると、真理を「今現在における、より正しいとされる物事・事柄・道筋」と定義できます。

真理の定義
何時どんな時にも変わることのない正しい物事・事柄・筋道
今現在における、正しい物事・事柄・筋道
今現在における、正しいとされる・・・・物事・事柄・筋道
今現在におけるより正しいとされる・・・・物事・事柄・筋道
 ↓
今現在における、より正しいとされる物事・事柄・道筋

そして、学問と科学の目的は、「真理の追究」です。
したがって、学問と科学の目的は、「今現在における、より正しいとされる物事・事柄・道筋を明らかにすること」と言えます。

科学・学問の目的=真理の追求
⇒今現在における、より正しいとされる物事・事柄・筋道を明らかにすること

この学問と科学の目的を踏まえると、学問と科学は、次のように定義できます。

学問・科学とは
今現在における、より正しいとされる物事・事柄・筋道を明らかにするために、一定の方法の下に行われる、様々な事象の研究活動、および、その研究活動の成果として得られる知識、その知識の体系や理論

長くなりましたが、要は、「一定の目的」の文言に学問と科学の目的を代入しただけです。
このように「一定の目的」とは、「真理の追究」であり、それが具体的には「今現在における、より正しいとされる物事・事柄・筋道を明らかにすること」だということが分かりました。

逆に言えば、目的が「真理の追究」ではない研究活動は、学問や科学と呼ぶに値しないことが分かります。
例えば、「真理の追究」とは言えず、単に洗脳のために行われているようなものは、どんなに学問的・科学的に見せかけても、偽物でしかありません。そういった場合は、学問や科学が持つような正しさがあるように錯覚させて、その実、主張者の利害関係を代弁しているだけです。

さて、学問や科学の目的が「真理の追究」だと分かりましたが、具体的に何を追究すればいいのかが分かりません。「真理の追究」というとき、主に4つの目的に具体化できます。
すなわち、存在の発見、起源の探求、過程の解明、原理の応用の4つです。
図24.1.真理の追究の中身 


最後の原理の応用だけ、他とは少し毛色が異なりますが、存在の発見から順番に見て行きます。

まず、物質や現象など未知の対象の存在の発見が基本となります。
図24.1.真理の追究の中身 


未知の物質の存在の発見、今まで認識されていなかった現象の存在の発見など、これまでに無かったこと、知られていなかったことの存在を発見するだけで、より正しいとされる物事・事柄・筋道を明らかにすることに繋がります。
このように、学問と科学が目指す「真理の追究」は、存在の発見が重要になります。物質や現象など未知の対象の存在の発見から学問と科学は始まります。

存在が発見されれば、何故それが存在しているのか、という疑問が生じます。これが過程の解明です。
図24.1.真理の追究の中身 


現在存在しているもの、知られているものが、どのようにして成立したのかといったことを探ります。物事がどのようにして成立し、存在しているのかが分かれば、その対象をより理解したことになります。そして、それは、対象の理解がより正しいものであることへの確信にもなります。
このように、学問と科学が目指す「真理の追究」は、過程の解明も重要になります。物質や現象などがどのように成立し、存在しているのかを明らかにすることで学問と科学は発展して行きます。

存在することの過程が解明されれば、対象の始まりが何なのか同時に分かって来ます。これが起源の探求です。
図24.1.真理の追究の中身 


対象の始まりを明らかにすることは、その対象をより理解することに繋がります。これも対象への理解がより正しいものであることの確信を高めてくれます。
このように、学問と科学が目指す「真理の追究」は、起源の探究も重要になります。物質や現象などの始まりを明らかにし見極めることで学問と科学は発展して行きます。

なお、過程の解明と起源の探求は、非常に似たものに感じられる人もいるでしょう。
実際、多くの場合、過程の解明をしていくと、起源が何なのかも同時に分かることもありますし、起源の探求をしていくと、過程の解明も同時に分かることもあります。
でも、必ずしも両者が同時に行われるわけではありません。
起源の探求なしに過程が明らかになることも、過程の解明なしに起源が明らかになることもあります。やたら滅多に過程の解明と起源の探求との区別に拘る必要はありませんが、一応、過程の解明と起源の探求は別物で、単独で真理の追究という目的になり得ることを覚えておいてください。

存在の発見、過程の解明、起源の探求は、対象それ自体への理解が主な目的になっています。
これに対して、原理の応用は、対象をどう利用できるかに関心があります。
図24.1.真理の追究の中身 


物質にしろ現象にしろ、対象の存在や過程、起源が明らかになり、その性質がよく分かって来ると、それが何かに利用できないものかと考えます。つまり、対象の持つ能力や可能性を活用すれば、何ができるのだろうか、と考えることになります。これは科学技術や文明の発達に大きく貢献することになります。
このように、学問と科学が目指す「真理の追究」は、原理の応用も重要になります。物質や現象などの性質を利用することで学問と科学は発展して行きます。

以上の4つの存在の発見、過程の解明、起源の探求、原理の応用に関する追究が、学問と科学の真理の追究の具体的な内容になります。

この4つの追究に、現代社会では、もう少し違う要素が目的に加わっています。
そもそも、学問が一部の金持ちに限定されていた昔、つまり、学問が働かずとも莫大な収入がある金持ちが暇な時間を潰すための道楽的な意味合いが少なからずあった時代では、自分の興味関心のある分野に潤沢な資金を注ぎ込んで、人を集めて、好き勝手に研究してました。

しかし、現代社会では、そうした金持ちではなくても才能がある者が学問的な研究に参加することで、様々な分野で驚くべきほどの速度で研究が進み、より正しいらしいことが明らかになっています。金持ちではない普通の人が、高額な研究器材や施設、豊富な資料を用いて研究活動に従事できるのは、国が研究費を出したり、大学が「真理の追究」という目的を掲げて資金を集めて支えているからです。

そうすると、「真理の追究」という目的があるからといって、何でもかんでも好き勝手に研究できるものではなくなってきます。自分のお金ではなく、他人のお金を使うことになるからです。自分のすることについてとやかく言わずに、金だけ出してくれと主張しても、一笑に付されます。

したがって、純粋な「真理の追究」に加えて、多くの人にとって有益であることも大切になっている事実も、現代社会では避けようがありません。
それゆえに、学問や科学には、私達の生活を豊かに便利にすることも求められます。または、私達の社会の公平性や安定性を高めることも求められます。あるいは、人間とは一体何なのか、私達の幸福とは何なのかを考える手掛かりを提供することも求められます。

もちろん、学問と科学の目的が、「真理の追究」であることは揺るぎません。こうした利益に繋がるか否かに囚われることなく、純粋に「真理の追究」が大切だという考えもしっかりと持っておかないと、研究対象が政治や企業の利益追求のみになってしまいかねません。また、何が利益になるかも、利益として結実したときになって初めて分かるという面もあります。

このように、学問と科学は、「真理の追究」という人間が持つ好奇心を純粋に満たすことが目指されると同時に、私達人類をより豊かにすることが目的となっています。

これは、かつての宗教が未だ大きな力を持っており、真理を知ることが神に近づくことを意味し、それが幸福へと繋がると考えられていたことに似ています。が、しかし、学問と科学は、宗教や神を持ち出さずに、人間を中心に考えている点で異なります。学問と科学は、人間に資することが大切になります。この人間中心主義的な考えは、昨今の環境保護や動物愛護など様々な視点から見直されていますが、それでも人間が大きな位置を占めていることには変わりはありません。

こうした面が学問と科学の目的にあることも知っておいてください。

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4 まとめ

学問と科学の定義について考えました。
科学という言葉を広い意味で考えると、学問という言葉とほぼ重なり合うことが分かりました。
そして、学問と科学の定義は、「一定の目的と方法の下に行われる、様々な事象の研究活動であり、その研究活動によって得られる知」となります。

多くの人が学問や科学で研究された事柄は正しいと認める現代社会において、「学問的である」とか「科学的である」という言葉が持つ「正しさ」に対する印象は、こうした「一定の目的」と「一定の方法」の下に研究されていることから生じているのが分かります。

そして、学問と科学の「目的」は、「真理の追究」であり、それは「今現在における、より正しいとされる物事・事柄・道筋を明らかにすること」だということになります。
真理として追究されるものをより具体的に述べると、存在の発見、過程の解明、起源の探求、そして、原理の応用を追究することが、4つが学問と科学の目的です。

この真理の追究という目的の下に行われる研究活動だからこそ、皆が納得でき、信じるに値すると思える「正しさ」が学問と科学に存在するのだと言えます。

逆に言えば、この真理の追究を目的としていない研究活動は、客観性がなく、正しさがあるとは言えなくなります。
例えば、自己利益を追求したものは、学問的・科学的な風貌を装っていても、目的が自己利益追求なのだから、その当人とその取り巻きにとっては「正しい」としても、他の多くの人にとっては「正しい」と言えなくなります。

このように、学問と科学が正しいことだと考えられている理由に、その目的が真理の追究であることが、1つの大きな柱になっていることを意識しておかなくてはなりません。
そして、学問と科学の真理の追究という目的は、人間の生活・社会・存在をより豊かにすることに繋がることが求められます。

それでは、続いて、学問と科学の正しさを保証するためのもう1つの柱である「一定の目的」に話を移します。


前頁:第23章 論理的な問題解決のまとめ
ページトップへ:第24章 学問と科学の定義と目的
次頁:第25章 科学的方法
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 参考文献
◎野矢茂樹 『論理学』 東京大学出版会
○野矢茂樹 『新版 論理トレーニング』 産業図書
○照屋 華子、岡田 恵子 『ロジカル・シンキング』 東洋経済新報社
・照屋 華子 『ロジカル・ライティング』 東洋経済新報社
・アンドリュー・J・サター著/中村起子訳 『図解主義!』 インデックス・コミュニケーション
講義で適宜使った専門知識に関する文献
・吉川洋 『マクロ経済学(現代経済学入門)』 岩波書店
・伊藤元重氏 『マクロ経済学』 日本評論社
・マンキュー 『マンキュー入門経済学』『マンキュー経済学Iミクロ編』『マンキュー経済学IIマクロ編』東洋経済新報社
・スティグリッツ 『スティグリッツ入門経済学』『スティグリッツミクロ経済学』『スティグリッツマクロ経済学』東洋経済新報社
・キング(Gary King)、コヘイン(Robert O. Keohane)、ヴァーバ(Sidney Verba) 『社会科学のリサーチ・デザイン』 勁草書房
・江藤裕之 「healthの語源とその同族語との意味的連鎖−意味的連鎖という視点からの語源研究の有効性−」『長野県看護大学紀要』2002, no4, p.95-99
・Richard P. Feynman, The Feynman Lectures on Physics, Addison–Wesley
日本語:ファインマン『ファインマン物理学〈1〉力学』『ファインマン物理学〈2〉光・熱・波動』『ファインマン物理学〈3〉電磁気学』『ファインマン物理学〈4〉電磁波と物性』『ファインマン物理学〈5〉量子力学』 岩波書店
◎Charles Eames Jr 映画の書籍化powers of ten
・文部科学省「平成17年度学校基本調査 学部系統分類表」 web
・厚生労働省 健康日本21(総論) 第6章 人生の各段階の課題 web
・東京大学 web
・ポパー 『果てしなき探求〈上〉―知的自伝』『果てしなき探求〈下〉―知的自伝』 岩波現代選書
・廣松渉 編 『岩波哲学・思想事典』 岩波書店
・思想の科学研究会 編 『哲学・論理用語辞典』 弘文堂


総論 教養と学問の前に

はじめに(テキストダウンロード)
序章 学問と議論のために

 第 I 部 論理的思考
第1章 論理的であるとは
第2章 推論方法の基礎
第3章 三段論法
第4章 演繹法
第5章 帰納法
第6章 仮説推論
第7章 類比推論
第8章 観念連合
第9章 弁証法
第10章 論理的思考のまとめ
第11章 論理と誤謬
第11章(補講) 論理と誤謬

 第 II 部 論理的な問題解決 
第12章 目的と手段
第13章 演繹法と帰納法の絡み
第14章 問題と解決
第15章 論理ツリー ― what ツリー―
第16章 論理ツリー ― why ツリー―
第17章 論理ツリー ― how ツリー―
第18章 設定型の問題と創造型の問題
第19章 因果関係図
第20章 論理ピラミッドの基本
第21章 論理ピラミッド ―現象型の問題―
第22章 論理ピラミッドの応用
第23章 論理的な問題解決のまとめ

 第 III 部 教養と学問・科学
第24章 学問と科学の定義と目的
第25章 科学の方法
第26章 定性的研究と定量的研究
第27章 実証主義と反証主義
第28章 還元主義・総合・全体論
第29章 学問と専門・教養
第30章 学問の専門分化
第31章 教養と学問

引用・参考文献
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