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Liberal Arts and Academic Disciplines

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第29章 学問と専門・教養

学問と科学の方法を学んできました。今回からは、学問と科学の研究の対象として何があるのかについて学びます。
学問と科学と一言で言っても、研究の対象は多種多様です。その研究の対象と内容に応じて、細かく領域が切り分けられて、専門化されています。そして、現代社会では、学問と科学が専門ごとに細分化され過ぎたため、他の専門外のことについてほとんど分からないという状況になっています。こうした問題意識から分野横断的な学際的な研究やジェネラリストが求められています。こうしたことについて学びます。

目次
1 学問あるいは専門とは
2 学際
3 総合―ジェネラリスト
4 まとめ

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1 学問あるいは専門とは

学問と科学には、研究対象や分野に応じて色々な種類があります。いわゆる専門というヤツです。
専門は、高等教育で研究される知の全体の中の一部、部分になります。
例えば、専門は、物理学や化学、または、経済学や法学、あるいは、文学や哲学といったものになります。どの分野も学問として研究されているものですが、それぞれは学問全体の中の一部の知であり、専門全体によって学問全体が構成されています。
図29.1.学問と専門 


英語では、学問における専門は、academic disciplines と言います。単に disciplines と言う場合もあります。
discipline は、受験でも必須の多義語として登場するので、受験生の人は覚えているでしょうし、これからの人は将来的に覚えるはずです。

「学問」あるいは「専門」を意味すると紹介した discipline は、「規律・しつけ」が原義です。
そこから、「統制・抑制・自制」という意味が導けます。また、discipline は「訓練・鍛錬・修養」という意味もあります。その方法である「訓練法・鍛錬法・修養法」という意味も持っています。さらには、「戒律・規則」という意味もあります。そして、「懲罰・懲戒」という意味まであります。
これらに加えて、「学問分野・専門分野」といった意味まであります。
このように、多様な意味を表すのが、discipline です。

さて、こんなに色々と意味があっては覚えるのも一苦労です。しかも、こうした多義語である discipline が、「学問」や「専門」と日本語に訳される理由もよく分かりません。
多義語なんて暗記してしまえば終わりと言えばそうなのですが、ここでは少しdisciplineという言葉自体を考えることで、「学問」や「専門」について考えることにしましょう。

discipline は、語源的にはラテン語の discipulusディスキプルス に由来します。discipulus は、「生徒・弟子・門弟」という意味です。これがフランス語経由で英語に入って来て、disciples という語になります。
したがって、disciple は、ラテン語と同じで、「生徒・弟子・門弟」を表し、師匠や先導者の追随者・信奉者や弟子を意味しています。
discipline は、このdisciple「『生徒・弟子・門弟』を教育すること」を意味し、それゆえに「規律・しつけ」というのが原義になります。

また、かつて、disciple は、宗教的な意味合いが非常に強かったです。
英語で宗教と言えば、キリスト教がまず思い浮かぶかと思いますが、the Twelve  Disciples で「十二使徒」を意味します。現在、「十二使徒」と言えば、the Twelve Apostles の方が一般的かもしれませんが。
Disciples が、宗教的な意味合いを含んだ「生徒・弟子・門弟」という意味だと分かれば、discipline の多義性がすぐに理解できます。

まず、「宗教的な門弟」であるからには、師から「教え」を授かることになります。
この「教え」が「戒律・規則」という意味に繋がります。

もちろん、「戒律・規則」は「こうだよ」とただ教えられるだけではありません。厳しい「修業」を通じて授けられることになります。
この「修業」が「訓練・鍛錬・修養」という意味に繋がります。
その「修業の仕方」自体に注目すれば、「訓練法・鍛錬法・修養法」という意味になります。

そして、「戒律・規則」を破れば、「罰」が与えられます。最悪の場合、破門、要は門弟失格で門弟ではなくなることにもなります。
この「罰」は「懲罰・懲戒」という意味に繋がります。

こうした「修業」を通じて、「教え」を理解し身に付けることで、自分を律する「自己制御」ができるようになります。
この「自己制御」が「統制・抑制・自制」という意味に繋がります。

discipline は、まさに師による弟子に対する教育であり、「規律・しつけ」なのです。
図29.2.disciplineの多義性 画像クリックで拡大 


学問の世界でも、この「宗教的な門弟」に類似した状況があります。
ヨーロッパとイギリスの大学の成り立ちを追わなくても、日本における学問の世界でも、師弟関係が容易に見て取れるので分かるかと思います。
それでは、「宗教的な門弟」を「学問的な門弟」に置き換えて考えてみましょう。

師から授けられる「教え」は、「学問的な戒律」や「学問的な規則」になります。
「戒律」という用語は宗教的なものに使うのが普通ので除外して、「学問的な規則」になります。

もちろん、専門知識を理解し操れるようになるには、「修業」が必要です。これを師から指導してもらいます。
この「修業」は、宗教的な場合と同じで、「訓練・鍛錬」という意味です。
その「修業の仕方」に注目すれば、「訓練法・鍛錬法」という意味になるのも同じです。
皆さんも「修業」の基本的な方法は、科学的方法として今まで勉強してきました。説明をただ聞いただけでは習得できないので、練習する必要があります。まさに、これが「訓練・鍛錬」です。

そして、「学問的な規則」を破れば、宗教的な場合ほどではないですが、「懲罰・懲戒」を受けます。
論文をコピペしたりしたら、それはもう怒髪天を衝くことになります。

こうした「修業」を通じて、「教え」を理解して身に付けることで、学問を修めた者としての「自己統制」ができるようになります。
自分にとって快いか不快なのかという感情的な判断ではなく、偏見や思い込みを排し、事実を分析・総合するという学問的・科学的な態度の下に、物事を判断できます。
これが「統制・抑制・自制」という意味です。学問的態度が養成されると言っても良いでしょう。
図29.2.disciplineの多義性 画像クリックで拡大 


discipline は、まさに「学問」であり、「学問分野・専門分野」と言えます。
「学問分野・専門分野」には、その分野独自の「規則」があります。これは学問における約束事と言えます。
この「規則」、つまり「学問的な規律」を厳しく「訓練」して習得することで、学問的態度として「自制」ができるようになります。
この教育と約束事が「学問」や「専門分野」を成り立たせているのです。

どうでしょうか。学問および専門というものが理解できたでしょうか。
論理的思考に基づき、科学的方法に則る訓練をすれば、学問の規律や規則を習得することができ、学問的な知識を自由に扱えるようになります。



なお、学問と一言で言っても、知識の範囲は広く、かつ、深いです。
学問の対象あるいは範囲は、人間が考えつく世の中のすべてのことと言っても過言ではありません。そのような広く深い学問の対象は、そのまま理解するには複雑過ぎて理解できません。複雑で理解困難な対象は、理解できるようにするために、要素還元主義に則って、より基礎的な要素に分解していきます(第28章 還元主義・総合・全体論 2 要素還元主義)。
図29.3.要素還元主義と学問 

(読めない字はここでは気にしなくてもよい)
そして、学問の対象を細かく細かく分解して行った結果、ある特定のまとまりを見出すことができます。
図で言えば、青枠の最下位階層がそれぞれ個別の専門(分野)を表しています。現実には、もっと深い階層まで掘り下がっていることがほとんどです。
また、一つの階層だけではなく最下位階層の上位階層も含めて専門となっていることが多いです。
図29.3.要素還元主義と学問 


いずれにしろ、細かく分解された学問の対象の1つ1つが、1つの専門分野として考えているわけです。

したがって、学問を修めるとき、ある特定の分野に集中して学ぶことになるのが普通です。
ですから、ほぼすべての人にとっては、学問を修めることは、専門を修めることと同義になります。
そして、この専門分野の教育を修めた人を専門家と呼びます。英語では、experts や specialists と言います。
専門家は、専門分野の知識を使いこなすことができ、その分野についての深い見識を持っていることになります。

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2 学際

学問を修めることが、専門を修めることとほぼ同じ意味であり、専門教育を受けようと考えている皆さんも専門家になるわけです。
しかし、専門を学ぶことが、ある特定の学問分野に集中して修めることを意味するため、専門が違えば、発想の仕方や着眼点も異なってきます。また、使う用語等も異なりますし、同じ言葉でも定義が違ったりもします。
そうすると、1つの同じ専門分野内では話が通じるが、異なる専門分野に跨る話になると、途端に通じなくなるということも、しばしば起き得ます。

この原因は、学問の専門が分野ごとに細かく分解して分類されたことに求められます。
最初の内は、学問を専門ごとにどんどん細かく分解して掘り下げて行っていても特段問題がありませんでした。掘り下げがそんなに深くなかったからです。
しかし、現在では、掘り下げ方が深くなりすぎて、自分の専門分野以外の要素が見え辛かったり、見えなかったりするようになりました。したがって、専門外のことが分からなくなってしまっているのです。さらに、異なる専門分野を学ぼうにも、専門が深くなり過ぎて、中々最新の研究まで到達できないということにもなります。
図29.3.要素還元主義と学問 


しかし、現代社会では、社会は複雑に絡み合い、科学技術も高度に発展しているため、1つの専門分野の知識だけでできることは、非常に限られています。むしろ、たった1つの専門分野の知識だけでは、役に立たないことの方が多いです。

例えば、飛行機を造る場合について考えてみましょう。
「僕は流体力学をよく知っています」と言って、空を飛ぶための物理学的な思考ができたとします。このとき、飛行機の材料などの化学的な知識について無知で機体の強度や重量について何も分からないということでは、ちょっと困ります。

また、物理や化学の知識を使えば、色々な便利なものを作れますが、「生態環境・自然環境にどのような影響を与えるかなんて知ったこっちゃない」というのも、現代では許されない価値観なのは、すぐに理解できるかと思います。

他にも、法律には詳しくとも、経済学的な視点がまったくなく、経済学的には非効率な規制をしては困りものです。
逆に、経済学的な効率を求めすぎる余り、法律が何故それを規制しているのかを理解できないのも同じくらい困りものです。

あるいは、「平和を守らなければならない」という理念・理想あるいは思想を信奉するあまり、国際関係・国際政治の厳しい現実をよく考えずに、自国1国のみで何でもかんでもできると勘違いして、滅亡に道を突き進むような主張を声高に叫んだりする人も見かけます。

ですから、最近では、1つの専門 a discipline だけではなく、複数の専門 disciplines を修めるべきだという考えも生まれています。
そして、実際、2つ以上の異なる専門分野に跨った研究も盛んに行われています。
こうした複数の専門を横断して研究すること学際的と言います。学園祭の学祭ではないので注意してください。
図29.4.学際と総合 


学際は、英語では interdisciplinary と言います。
inter- が「相互に」とか「…の間に」とかいう意味です。
-ary は形容詞化させる接尾辞で、「…の」とか「…に関する」という意味になります。
これに「学問」や「専門」を表す discipline と組み合わさった語です。
したがって、interdisciplinary は、「複数の学問に相互に関係した」という意味になります。

日本語の「学際的」とはこの interdisciplinary を上手く訳したものです。
学問の「学」であることは簡単に連想できるでしょう。
「際」が、キワと読むことから分かるように、「相互に接している」ことを意味します。
したがって、「学際的」は、「学問が相互に接している」という意味を表しているのが分かります。

このように、現在では、異なる専門分野同士で共同研究したり、他の専門分野の独特の概念や思考法を借りて来て考えたりすることが大切になっています。1つの専門分野に限らず、複数の専門分野の知識が求められ、異なる専門分野をもう一度体系的に統一的に統合できないかという、総合が試行錯誤されていることを覚えておいてください。

ちなみに、現在の大学では、学部で専門教育を受けて単位を取って学士号を得るのですが、1つの専門でも主領域と副領域に分けられていることが多いです。
自分が身に付けた専門における中心的な科目が主領域になります。
その中心を補うような科目が副領域になります。
英語では、主領域を major と言い、副領域を minor と言います。

major は、形容詞として「主要な・重要な」という意味で覚えているかと思います。そして、英語を勉強していると、「私の専攻は物理です」を"I'm majoring in physics"と表現することを学ぶかと思います。
主領域 major が、自己の専門分野の中心を表す語だということが分かるかとも思います。

minor は、major の対義語であり、「重要ではない」とか「ささいな」とか「少数派の」とかいう意味で覚えているはずです。minor にも動詞として使うことができ、「私の副専攻は数学です」を"I'm minoring in mathematics"と表現します。皆さんからしたら、この用法は major と異なり、minor かもしれませんが。
副領域 minor が、自己の専門分野の周辺や補助を表す語だと分かります。

例えば、法学士が授与される場合でも、主領域が法律に関する科目で構成されて、副領域が政治学に関する科目となったりします。
法律だけ知っていても仕方ないですし、法律を制定する議会や道徳的な在り方や正義考える政治学も知っておいた方が、より法律を理解できます。


このように、1つの専門分野を修めると言っても、専門の中心となる主領域に加えて、それに近い分野も副領域として修める場合が多いです。
しかし、学際的 interdisciplinary と言うときは、こうした主領域と副領域の関係よりも、もっと離れて異なった複数の専門を学ぶことを表す場合が多いことも知っておいてください。

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3 総合家―ジェネラリスト

この学際的な研究が重要であるということから、改めてジェネラリスト(ゼネラリスト)の役割が注目されています。
ジェネラリストあるいはゼネラリストは、英語の generalist をそのままカタカナにしただけです。

英語の generalist は、general に「人」を表す接尾辞 -ist がくっついた言葉です。
general が、「一般的な」という意味ですから、「人」を表す接尾辞 -ist がついた言葉ということから、generalist を「一般人」だと考えないでください。「一般人」では、普通の庶民とかそういう意味になってしまいます。こうした「庶民」とか「一般人」は、英語では ordinary people と言います。

general「一般的」は、special「特殊・専門的」の対義語です。
一部の特殊なことではなく、多くの事柄に当てはまることが、「一般的」general という意味です。

special な人である specialist が「専門家」を意味し、学問の特定の専門分野に精通した人のことを表します。
これに対して、general な人である generalist は、一部の特定の専門にのみ精通しているのではなく、学問全般に当てはまることに精通した人という意味になります。
つまり、様々な異なる専門分野があるが、それらの多くに当てはまる基礎的で基本的な事柄を過不足なく身に付けた人がジェネラリストだと言えます。
図29.5.総合と教養と専門 


ジェネラリストをカタカナで表記せずに、敢えて翻訳した形で日本語にすれば、specialist「専門家」に対して、generalist「総合家」とでも言えそうです。あまり一般的に普及した語ではないのですが、ここではジェネラリストを「総合家」と呼ばせもらいます。あるいは、後で説明する「教養」の概念を理解できれば、「教養人」と呼んでもいいでしょう。

総合家は、色々な専門について広く知っていますが、すべての専門分野を知っているとは言えないし、さらに、各専門について深く知っているわけでもありません。
しかし、それぞれの専門家のような深い知識がなくとも、多様な事柄を分析して総合的に考えることができます。
多くの学問に共通する基礎的で基本的な論理的思考と分析の方法によって、対象を一般的に分析できるからです。

もちろん、先程言ったように、総合家 generalist は、特殊で専門的な知識 discipline について、専門家 specialist ほどには詳しくありません。
ですから、専門家から見れば、誤った理論の使い方や事実誤認といったことが起こる確率は高いです。詰めが甘かったり、掘り下げが不十分だったりもするでしょう。
それにもかからわず、総合家 generalist が必要とされるのには理由があります。複雑で多様な問題を考える上で、1つの専門分野の知識 discipline に頼るのでは、太刀打ちできないからです。

そもそも、1つの専門分野だけで考えては、対象の捉え方、分析の仕方が一面的になります。
各専門分野によって、対象の捉え方、分析の仕方が異なり、必然的に見え方も変わってきます。
複雑で多様な問題を一面的に捉えては、該当する専門分野が重視する要素以外は、切り捨てられてしまう危険があります。
もし切り捨てられた要素が重要で本質的なものであったら、その専門分野の知識では解決できないことになります。
図29.6.専門と総合 


こうした問題が表に出やすいのは、今まで経験したことがないような課題に取り組むときです。
今まで経験したことがないような課題は、新しいことですから、各専門分野での研究も進んでいるはずがありません。
もし特定の専門分野だけで、その課題を解決できるのならば、まだマシです。
そうではない場合も当然にあるので、その専門分野の知識単独では解決できないことになります。

さらに、課題をできるだけ早く解決する必要があるとき、各専門分野で十分に研究するまで待っておくことはできません。
ですから、複雑で多様な新しい課題に対して、色々な側面から分析でき総合的に考えることができる人が求められるのです。
そして、それが総合家 generalist です。
図29.6.専門と総合 


なお、勘違いして欲しくないのは、1つの専門分野の知識 a discipline は、典型的な問題を解決するのに非常に有益です。
また、新しい課題に対しても、その専門分野から考えれば、どのように理解できるかという視点も提示してくれます。
こうした専門的な視点なしには、総合家も分析したり考えることはできません。総合家にとっても、専門分野の知識は大前提として必要なものなのです。

これを踏まえると、現実の実践の場で課題に取り組むための人員の構成をどうするべきかが見えてきます。
実際、総合家 generalists と、課題に関係しそうな専門家 specialists を複数名集めてチームにして課題解決に取り組むことになることが多いです。
各専門家は、自らの専門分野の知識 a discipline から、対象の見方を提示します。
こうすることで、複数の専門分野 disciplines から、課題を捉え理解することができます。
そして、そのバラバラで多様な理解の仕方を上手くまとめ上げて総合するのが、総合家 generalist の役割です。

このように、総合家 generalist は、各専門家 specialists が提示する複数の専門分野の知識 disciplines を上手く総合して考えることになります。

なお、専門家 specialist が総合家 generalist を兼ねることも多いです。
よく言われるのが、generalist であり specilaist であるというやつです。最低1つの専門分野の知識 a discipline を修めた専門家 specialist であるのと同時に、総合的に考えることができる総合家 generalist である、このような人のことです。

総合家兼専門家であることの利点は、自分の専門外のことも、総合家として考えることができます。
したがって、異なる専門家との会話も、同じ専門同士が行うほどにとまではいきませんが、比較的通じるようになります。

これはチームを組んで共同で研究する場合に大切になります。
自分の専門だけしか分からないと、異なる専門同士で共同研究するとき、相手が何を言っているのかほとんど理解できない状態になります。理解できずに、何となく自分の専門分野の研究成果を提示するのでは、試行錯誤がし難いです。何を目的としているのかが分からなければ、研究で上手くいかないときに変な方向に舵を切ってしまうかもしれません。

また、自分の専門だけしか分からないと、専門外の相手に、自分の担当分野をどう説明すればいいのかも曖昧になりやすいです。
専門外の人に対しては、自らは専門家ではありつつも総合家としての立場で、自分の専門を説明すればいいです。相手に合せて一般的に説明することから始めて、必要な専門的な知識へと掘り下げて行くことができます。
総合家兼専門家であることには、このような利点があります。

この総合家兼専門家は、T字型とも言われたりします。
Tの横棒が、物事を広く知っている「教養」的な知識を表しています。Tの縦棒が、特定の物事に対する「専門」的な深い知識を表しています。
以上のような総合家であることと専門家であることを対比してイメージすると、このようになります。
図29.7.専門家と総合家 


専門家であるだけならば、専門の事柄については深く考えることはできます。
(図の専門知識による掘り下げた○)
しかし、専門外の事柄については考え始めることすらできません。
(図の思考開始の壁より上の○)
これに対して、総合家兼専門家であるならば、専門の事柄については深く考えることができるのは当然として、専門外の事柄についても少しは考えることができます。
(図の緑の部分)
まったく考えられないよりは、少しでも考えられる方がマシだと言えます。
そして、これはいつもそうだというわけではありませんが、少しでも考えることができれば、自分の専門知識を利用したり、応用したりすることで、専門外の事柄もある程度深く考えることができる場合もあります。
(図の緑の部分より少し下の点線の○)
最初はよく分からなかったけど、少し考えてみると、実はこうなんじゃないかということが分かるという感じです。

では、こうした総合家 generalist になるためには、どうすればいいのでしょうか。

いくら総合家が、専門家の知識を利用するからと言っても、単に1つの専門分野 a discipline を修めるだけでは、総合家になるには不十分です。
そもそも、専門教育、つまり、専門分野 discipline の教育は、その専門分野の知識を習得した専門家 specialist を育成するために行われるものです。
専門家 specialist を育てる方法で総合家 generalist を育成することは、目的からしてズレが生じています。
目的は、総合家 generalist になるためですから、手段も総合家 generalist を育てる方法が必要になります。
そこで、リベラル・アーツ教育の出番です。

リベラル・アーツは、英語の liberal arts をそのままカタカナにしたものです。
日本語的に翻訳すると、通常、「教養」と言われます。ここで言う「教養」とは、リベラル・アーツとしての「教養」ですから、単に物知りであることを意味しません。これについては後で詳しく説明 するので、今は総合家 generalist には、教養 liberal arts が必要だということを押えておいてください。

リベラル・アーツの成り立ちは、古代ギリシアに求めることもできますが、現代のリベラル・アーツの基礎を形成したのは中世ヨーロッパです。
中世ヨーロッパでは、政治に参加したり何かをしようと自分で決めることができる人は、限られていました。
これを裏返して言えば、領主様の言うことを聞かなければならず、自分のことを自分で決めることができない隷属的な地位、奴隷的な人が多くいました。

こうした時代の中で、教養 liberal arts は、自分のことは自分で決めることができる「自由人となるための技芸」であり、これを身に付けることがエリートの勤めでもありました。このように、教養 liberal arts を修めることが、一人の個人として生活するために、または政治に学問に自由に関わるために、必須の素養でした。
自分のことを自分で決めることができ、自分の頭で考えることができる「自由人」だからこそ、学問 academic disciplines を研究できるのです。
つまり、教養 liberal arts は、学問 academic disciplines を支える基礎だと分かります。

そうすると、教養 liberal arts は、学問 academic disciplines を総合するために必要な素養であることが分かるので、これはまさに総合家 generalist が学ぶべきものだと言えます。
そして、総合家は教養人だとも考えることができます。教養を身に付けた人だから、教養人だと呼ぶに相応しいと納得が行きます。

また、教養 liberal arts なしには、学問 academic disciplines を身に付けることもできないとも考えられるので、専門 a discipline を修める専門家 specialist も、教養 liberal arts を修めておくことが求められます。
程度問題ですが、専門家でも総合家であることが必要だということです。

この総合家兼専門家であることは、最近、再評価されており、皆さんも耳にしたことがあるかと思います。
最近は、大学も教養 liberal arts を学べることを売りにしている所がありますが、程度に差はあれ、教養 liberal arts を修めるのは、学問 academic disciplines を修めるのなら当たり前だということを知っておいてください。

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4 まとめ

今話してきた学問と教養の関係についてまとめます。

学問は、複数の専門分野によって構成されています。
学問の各専門は、幅広い対象の一部を深く深く掘り下げていったものです。
狭い範囲とは言え、深く学ぶことは大変な労力になるので、多くの人は専門を1つ修めることになります。
1つの専門 a discipline を修めることで、学問の一部を修めることになり、専門家 specialist となります。

しかし、現代社会は取り組むべき課題が、複雑で多様になっているので、複数の専門を横断的に考えることも大切でした。
複雑で色々なことに影響している対象は、1つの専門 a discipline から見ただけでは、上手く捉えて理解することが難しいからです。
複数の専門 disciplines を跨った研究、すなわち、学際的 interdisciplinary な研究も大切なのことを覚えておく必要があります。

なお、1つの専門 a discipline の中でも、主領域 major と副領域 minor があります。
専門の中心となる主領域 major とそれを補助する副領域 minor は、別々の専門であったりしますが、比較的近い専門であることがほとんです。
学際的 interdisciplinary という場合、1つの専門 a discipline の中の主領域 major と副領域 minor よりも、もっと離れた複数の専門分野に跨ることを指す場合が多いです。

そして、学問あるいは専門 academic disciplines の知識を応用的に扱うには、総合家つまりジェネラリスト generalist であることが求められます。
総合家は、対象を色々な側面から分析して総合的に考えます。このとき、専門的な知識を使うことは普通にありますが、その専門の規則に頼るのではなく・・・・・・・、総合的に考えるために利用・・しています。
したがって、学問的・専門的な知識 disiciplines を自由に扱える総合家になるには、教養すなわちリベラル・アーツ liberal arts を学ぶことが大切になります。
教養が専門を支える土台になっています。
そして、教養は、自分のことを自分で決め、自分の頭で考えるために必要であり、教養人・自由人になる上で重要でした。

さて、学問・専門と教養を修めることの大切が分かったので、次からは、学問および専門として具体的に何があるのかを概観します。この専門に一般的に当てはまることを知ることが教養になっていきます。


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 参考文献
◎野矢茂樹 『論理学』 東京大学出版会
○野矢茂樹 『新版 論理トレーニング』 産業図書
○照屋 華子、岡田 恵子 『ロジカル・シンキング』 東洋経済新報社
・照屋 華子 『ロジカル・ライティング』 東洋経済新報社
・アンドリュー・J・サター著/中村起子訳 『図解主義!』 インデックス・コミュニケーション
講義で適宜使った専門知識に関する文献
・吉川洋 『マクロ経済学(現代経済学入門)』 岩波書店
・伊藤元重氏 『マクロ経済学』 日本評論社
・マンキュー 『マンキュー入門経済学』『マンキュー経済学Iミクロ編』『マンキュー経済学IIマクロ編』東洋経済新報社
・スティグリッツ 『スティグリッツ入門経済学』『スティグリッツミクロ経済学』『スティグリッツマクロ経済学』東洋経済新報社
・キング(Gary King)、コヘイン(Robert O. Keohane)、ヴァーバ(Sidney Verba) 『社会科学のリサーチ・デザイン』 勁草書房
・江藤裕之 「healthの語源とその同族語との意味的連鎖−意味的連鎖という視点からの語源研究の有効性−」『長野県看護大学紀要』2002, no4, p.95-99
・Richard P. Feynman, The Feynman Lectures on Physics, Addison–Wesley
日本語:ファインマン『ファインマン物理学〈1〉力学』『ファインマン物理学〈2〉光・熱・波動』『ファインマン物理学〈3〉電磁気学』『ファインマン物理学〈4〉電磁波と物性』『ファインマン物理学〈5〉量子力学』 岩波書店
◎Charles Eames Jr 映画の書籍化powers of ten
・文部科学省「平成17年度学校基本調査 学部系統分類表」 web
・厚生労働省 健康日本21(総論) 第6章 人生の各段階の課題 web
・東京大学 web
・ポパー 『果てしなき探求〈上〉―知的自伝』『果てしなき探求〈下〉―知的自伝』 岩波現代選書
・廣松渉 編 『岩波哲学・思想事典』 岩波書店
・思想の科学研究会 編 『哲学・論理用語辞典』 弘文堂


総論 教養と学問の前に

はじめに(テキストダウンロード)
序章 学問と議論のために

 第 I 部 論理的思考
第1章 論理的であるとは
第2章 推論方法の基礎
第3章 三段論法
第4章 演繹法
第5章 帰納法
第6章 仮説推論
第7章 類比推論
第8章 観念連合
第9章 弁証法
第10章 論理的思考のまとめ
第11章 論理と誤謬
第11章(補講) 論理と誤謬

 第 II 部 論理的な問題解決 
第12章 目的と手段
第13章 演繹法と帰納法の絡み
第14章 問題と解決
第15章 論理ツリー ― what ツリー―
第16章 論理ツリー ― why ツリー―
第17章 論理ツリー ― how ツリー―
第18章 設定型の問題と創造型の問題
第19章 因果関係図
第20章 論理ピラミッドの基本
第21章 論理ピラミッド ―現象型の問題―
第22章 論理ピラミッドの応用
第23章 論理的な問題解決のまとめ

 第 III 部 教養と学問・科学
第24章 学問と科学の定義と目的
第25章 科学の方法
第26章 定性的研究と定量的研究
第27章 実証主義と反証主義
第28章 還元主義・総合・全体論
第29章 学問と専門・教養
第30章 学問の専門分化
第31章 教養と学問

引用・参考文献
テキストのダウンロードと管理

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