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第12章 目的と手段
論理的思考の基礎が理解でき、体系化されたたところで、いよいよ論理的思考を問題解決に応用する実践に移ります。
実践段階に移るために、仕込みとして「目的と手段」の考え方を紹介します。これを基本として、考える際には、目的達成志向が重要であることを学んでください。
目次 |
1 目的達成志向 2 目的と手段 3 手段の目的化 4 まとめ 論理的な主張と目的―手段 テキストのダウンロード[詳細] 通常版 既述版 |
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1 目的達成志向
これまで学んで来たものが論理的思考の基礎であるとすれば、これから学ぶ実践的な問題解決は応用ということになります。しかし、当然に論理的思考の基礎ができたとしても、応用である実践的な問題解決ができることとは少し開きがあります。したがって、論理的思考の実践という応用段階に入る前に、まず、この基礎と応用の開きを埋めていくことにします。
そこで重要なのが、「目的達成志向」です。
これまでの講義では、論理的思考について、「結論と根拠とに適切な関連性があり、そして、その根拠たる前提から正しい推論によって結論を導くこと」に重点を置いて説明して来ました。ここに、新たな要素として、「目的達成志向」を追加します。
目的達成志向を追加すると、論理的思考は、「結論と根拠とに適切な関連性があり、そして、その根拠たる前提から正しい推論によって目的に合った結論を導くこと」と定義できます。目的達成志向に基づいた論理的思考によって導かれる結論は、何かの目的があり、その目的に適合した結論であることになります。
では、なぜ目的達成志向が必要になるのでしょうか。
その理由は、発想の仕方が、かなり自由だからです。
思い出して欲しいのが、観念連合で説明したことです。対象を見ると、意識の中にその対象の観念、つまりは、イメージが浮かびます。その観念が、他の観念と結びつことで様々なことを考えることができます。そして、観念がどのように結ばれるかは、個人個人の経験によるので、その組み合わせは多様です。無限と言ってもいいかもしれません。そのような自由で多様な発想がなされると、論理的思考と言えども、結論は人の数だけある、とすら言えるようになります。
図12.1.目的達成志向
自由な発想自体は悪いことでもなく、目的もなくただ考えているだけなら、別に自由に発想しても構いません。が、しかし、何か問題を解決しなければならないときに、自由な発想をしていると少し困った事態になります。観念の結びつき方は自由であり、論理的に結ぶつけようとすれば、いくらでもできます。「理屈と膏薬はどこへでも付く」ということです。
ですから、自由な発想は良いことだと言って、何でもありな結論を導いていては、それが論理的であったとしても、問題の解決には役に立たない的外れなものになることも少なくありません。
したがって、観念の結びつき方、つまり、発想を、問題解決に役立つように制限する必要があります。この発想の方向性、論理の構築の方向性を制限するのが、目的達成志向です。
図12.1.目的達成志向
この目的達成志向がないと、論理的思考ができていても実践的な問題解決には繋がりません。目的達成志向が欠落しているために、的外れなことを言ってしまい、論理的ではないと言われることにもなります。議論でも主題から離れないことが大切(第11章 論理と誤謬 1 誤謬・詭弁・強弁)だったように、目的達成志向の重要性が分かってもらえたかと思います。
したがって、目的達成志向とは、何が目的であるのかということを常に意識して、その目的に合わせて、柔軟に論理的思考を働かせることと言えます。目的が、論理的思考をどのように使うかを決めると言えます。
例えば、(12.1)を見てください。
(12.1)「太郎を弁護する」という目的の下に、次の2つの前提をつなげて、1つの結論を導け <前提> 太郎は優しい性格だ <前提> 太郎は見た目が怖い |
前提「太郎は優しい性格だ」と、前提「太郎は見た目が怖い」をつなげるので、連言「かつ」を用いることになります。「太郎は、優しい性格で、かつ、見た目が怖い」となります。
(12.1)「太郎を弁護する」という目的の下に、次の2つの前提をつなげて、1つの結論を導け <前提> 太郎は優しい性格だ <前提> 太郎は見た目が怖い [結論] 太郎は、優しい性格で、かつ、見た目が怖い |
「太郎は、優しい性格で、かつ、見た目が怖い」では、日常における日本語の表現として不自然なので、体裁を整えたいと思います。
そこで、注目するのが、「優しい」と「怖い」という言葉です。「優しい」と「怖い」とは、対立する概念です。
こういう対立する概念を結ぶとき、日常の日本語では逆接を表す接続詞「が」「けど」「だが」等を用いるのでした。
では、「優しい」と「怖い」どちらを先に述べるべきでしょうか。つまり、「太郎は、優しい性格だが、見た目が怖い」なのか、「太郎は、見た目が怖いが、優しい性格だ」のどちらが適しているのでしょうか。
(12.1)「太郎を弁護する」という目的の下に、次の2つの前提をつなげて、1つの結論を導け <前提> 太郎は優しい性格だ <前提> 太郎は見た目が怖い [結論] 太郎は、優しい性格で、かつ、見た目が怖い ↓日常表現に改める…逆接表現の使用 太郎は、優しい性格だが、見た目が怖い or 太郎は、見た目が怖いが、優しい性格だ |
この2つの候補のうちどちらを選択するかを決定する上で、重要になるのが、「太郎を弁護する」という目的です。「太郎を弁護する」という目的とは、要は、「太郎を弁護するため」ということです。つまり、「太郎にとってプラスになる」な表現にすることを目指していることになります。
そうすると、逆接表現では、基本的に、前に述べられたものよりも、後に述べられたものの方が重要、つまり、言いたいことだから、「太郎は、見た目が怖いが、優しい性格だ」が、より適切な表現となります。「太郎を弁護する」という目的の下で、主に言いたいことは、「太郎は見た目が怖い」ことではなく、「太郎は優しい性格だ」ということだからです。
(12.1)「太郎を弁護する」という目的の下に、次の2つの前提をつなげて、1つの結論を導け <前提> 太郎は優しい性格だ <前提> 太郎は見た目が怖い [結論] 太郎は見た目が怖いが、優しい性格だ 太郎は、優しい性格で、かつ、見た目が怖い ↓日常表現に改める…逆接表現の使用 太郎は、優しい性格だが、見た目が怖い× or 太郎は、見た目が怖いが、優しい性格だ○ |
もし、「太郎は、優しい性格だが、見た目が怖い」としてしまうと、「太郎は見た目が怖い」ことが主に言いたいことになります。これでは、「太郎を弁護する」という目的が達成できなくなってしまいます。
ちなみに、連言「かつ」を、逆接表現の「が」でなく、順接表現の「て(で)」で結ぶと、「優しい」と「怖い」の対立する概念の関係が曖昧になります。
太郎は、優しい性格で、見た目が怖い |
「て(で)」で結ぶと、「優しい」と「怖い」が対等に並立することを意味するので、太郎がどういう人なのかをより客観的に表現していると言えます。
逆接表現の「太郎は、見た目が怖いが、優しい性格だ」では、最も言いたいことは「太郎は優しい性格だ」でした。「太郎を弁護する」という目的があるために、結論がこのような表現になりました。
しかし、順接表現の「太郎は、優しい性格で、見た目が怖い」では、言いたいことが「太郎は優しい性格だ」には絞られません。これは、「太郎」の性質を述べており、「太郎」の特徴として「優しい性格」と「見た目が怖い」ということが併存していることを述べているだけになります。
太郎は、優しい性格で、見た目が怖い →「優しい」と「怖い」の対等な並立=優劣無 「太郎」の性質を述べているだけ |
つまり、「優しい」と「怖い」という対立する概念のどちらが「太郎」の本質的な性質なのかということを述べていません。あくまで「太郎」の性質として、「優しい性格」と「見た目が怖い」ことが挙げられると言っているだけです。したがって、この主張からは、「太郎を弁護する」という目的が明確には読み取れなくなります。
このように目的達成志向によって、論理的思考の方向性が決まり、同じ前提を使いつつも、異なる結論が導かれていることが分かります。論理的思考は、「目的は何か」ということを意識して初めて効果的な結論を導けるようになるので、常に目的達成志向を忘れずに論理を展開しなければなりません。
2 目的と手段
目的達成志向の重要性が理解できたところで、目的と手段について考えてみます。目的と手段については、第11章 論理と誤謬 1 議論と誤謬・詭弁・強弁でも少し触れました。論点たる目的を設定して、その目的が達成できる手段なのかどうかが、主張が説得的か否かの判断基準となっていました。ここでは、もう少し詳しく目的と手段の関係ついて考察して理解を深めたいと思います。
さて、まず何か現にある状態つまり現状を観察していると、問題や疑問に気付きます。つまり、現状に対する問題・疑問の認識です。
図12.2.現状・問題から目的と手段
しかしながら、問題や疑問だと漠然と感じても、思い違いかもしれません。そこで、それが本当に問題であるのかを考えないといけません。そこで重要になるのが、目的性と必要性です。
まず、何故それが問題なのかということを考えないといけません。つまり、問題が問題である理由です。問題が問題であると言えれば、目的性があることになります。
そして、目的性があり現状が問題だと言うときには、その問題を解決する必要が本当にあるのか、ということを考えないといけません。いわゆる必要性です。問題である理由、つまり、目的性があっても、別に解決する必要まではないかもしれません。世の中問題だらけです。いくらでも「ここが悪いから改善すべきだ」と言えます。しかし、時間的にも費用的にも、すべての問題を解決するのが無理なことは、皆知っています。ですから、問題があるとして、その問題を直ちに解決しておく必要があるのか、ということを考えなければなりません。「必要性がある」ということは、「問題を解決する必要がある」ということになります。
図12.2.現状・問題から目的と手段
この目的性と必要性を併せて目的とします。したがって、目的とは、目的性と必要性があることになります。より具体的には、目的とは、問題が問題である理由があり、かつ、その問題を解決する必要があるということになります。
この目的の下に、論理的思考で結論を導くことになります。目的達成志向にあわせて言えば、問題を解決するための結論を論理的思考で導くことになります。問題解決という目的に合わない主張は、論理的でも価値がないものになることが分かります。
目的が「問題を解決する」ことと決まれば、どうやって解決するのか、という具体的な方法を考えることになります。問題を解決するためには何をすればよいのか、どうすればよいのか、といったことを考えます。つまり、問題を解決するという目的を達成するための道具や方法である手段を考えるということです。
そして、手段は、実効性と実現可能性の2つが大切です。
手段は問題解決に実際に効果があることが求められます。何をすれば、どのような効果があり、問題が解決できるのか、ということを考えます。実行することで、目的である問題解決に効果があるのなら、実効性があると言えます。問題解決に対して、大した効果が得られなければ、実効性はないので、良い手段とは言えなくなります。
しかしながら、高い実効性のある手段でも、「机上の空論」、「絵に描いた餅」と揶揄されるような、実際にできない代物では意味がありません。手段は、現実に実行できるという実現可能性も大切になります。現実的で、実行可能なら、実現可能性があると言えます。
図12.2.現状・問題から目的と手段
このように、問題を解決するという目的の下に、その目的を達成する手段を考えていくことになります。
しかし、目的達成の手段をたった1回考えただけでは、中々具体的で実効性と実現可能性のある手段を思い付くことは難しいです。そこで、手段をさらに細かく考えていくことになります。これは、目的達成のための手段を実行するためには、どのような手段を実行すればよいのかを考えることを意味します。
このとき、最初の手段が、新たな目的となります。
図12.3.目的と手段の連鎖
この手段かつ新たな目的を達成するような新たな手段を考えることになります。
図12.3.目的と手段の連鎖
そして、さらに、その新たな手段を実行することを考えます。新たな手段は、さらに新たな目的となり、さらに新たな手段を考えていきます。
図12.3.目的と手段の連鎖
これから分かることは、目的達成のための手段は、その手段を達成するための手段を考えときに、新たな目的となり、新たな手段を導いているということが繰り返されていることです。このような目的と手段の連鎖によって、手段はより具体的になっていきます。
また、これは相対的な見方と言えます。つまり、目的と手段の意味が相互の関係性で決まっています。最下位の手段から見れば、その上位の手段は目的です。しかし、その目的も、さらに最上位の目的から見れば、手段と言えます。目的なのか手段なのかは、どこから見るかで決まっています。
そして、最下位の手段から順に実行していくことで、最上位の目的である「問題を解決する」ことが達成できることが分かります。
3 手段の目的化
目的と手段の関係が分かったところで、手段の目的化という問題について注意を促しておきます。手段の目的化とは、目的達成のための手段を実行すること自体が目的となることです。
本来、手段は目的達成のための道具です。
したがって、問題解決を目指し実現するために、手段が実行されるのが本来の在り方です。つまり、手段を実行する理由は、問題解決という目的の達成のためです。問題が解決されるという目的が達成されるなら、手段の具体的な内容自体は別に問いません。
しかし、手段を実行していると、次第に問題解決という目的を忘れて、手段を実行すること自体が目的になることがあります。これが意味することは、目的が、本来の問題解決から、手段の実行へとすり替わってしまっているということです。目的が問題解決から手段を実行することにすり替わってしまうと、手段の実行が目的なので、手段の本来の目的である問題解決が達成できたかはどうでもよくなったり、あまり考えられなくなります。
こうなると、もう問題が解決しているのに目的化した手段を実行し続けたり、問題解決には大した効果がないことが明らかになったのに目的化した手段を実行し続けたりすことになります。これは、時間と費用の無駄です。問題解決という目的を忘れて、手段が目的化した弊害です。
手段の目的化の例は、勉強でもよくあります。
勉強自体は知識を吸収するためであるのですが、受験や資格試験等が重要な受験生にとっては、試験で合格点を取ることが目的となります。試験で合格点を取る(目的1)ために、勉強(手段1)しなければなりません。勉強する(目的2)ために、参考書を買います(手段2)。
しかし、参考書を買って満足してしまい、ろくに勉強せずに、新たな参考書を定期的に買う人を見たことがあるのではないでしょうか。もしかしたら自分がそうだという場合もあるかもしれませんが。
これは、本来の最上位の目的である試験で合格点を取る(目的1)ことが忘れ去られて、参考書を買う(手段2)が目的化しています。
参考書を買う(手段2)のは、合格点獲得(目的1)のために勉強をする(手段1・目的2)ためです。
参考書を買って(手段2)ばかりで、その目的の勉強をする(手段1・目的2)が実行されなければ、最上位の目的である試験で合格点を取る(目的1)も達成できません。
手段が目的化してしまい、いつまでも同じ手段のみを実行していては本来の最上位の目的達成ができなくなるので、おそらく、彼は試験に落ちることになるでしょう。
やはり常に目的達成志向の下に行動しなければなりません。そして、手段の実行によって目的が達成できているのかを常に確認することが大切です。
▼雑談を飛ばす
余談ですが、手段の目的化が常に悪いわけではありません。以前、可愛い、と言うか、綺麗な人と食事に行く機会があったのですが、彼女の好きなことに話題が移りました。
そこで、「英語が好き」と言うもんだから、私は彼女に、英語が好きな理由を尋ねたんです。
そしたら、「英語が使えれば、文化も習慣もまったく違う人と話せて、楽しいから」と答えてくれたんです。
それを聞いて、私は「それって英語が好きと言うよりは、異文化交流が好きなんじゃないか? それなら英語ではなくともいいのだから、英語が好きとはならないのではないか?」と思わず聞き返してしまったんです。
で、彼女に「え?」って言われたから、「だから、英語が好きな理由が、文化や習慣が異なる人との交流ができるということに求められるなら、英語それ自体は手段で、目的は異文化交流になる」と言ったところで、ヤバいと思い、続きを言うのを止めようとしたんです。
が、「続けて」と言われたから、仕方なく、「母国語として以外でも世界の多くの人が英語を話せるからというのは分かるけど、フランス語も十分広範囲で多くの人に話されているし、話す人自体の数で言えばスペイン語を学んでもいいのではないか。英語が好きと言うからには、英語の発音がカッコいいとか、英語の文法解析が楽しいとか、英語それ自体に面白さを見出していないと納得が行かない」と言ったわけです。
つまり、本来の目的は「異文化交流」であり、「英語」はそれを達成するための手段でしかないのに、手段である「英語」が目的化していると指摘したことになります。
もし、この会話の目的が「彼女の本当に好きなことを明らかにすること」であるなら、私の主張は意味のあるものだったでしょうが、会話の目的が「彼女を楽しませること」だったので、私の主張は目的達成の手段として良くないことになります。
論理的思考は、目的達成のための手段であるのに、この事例では、論理的思考を使うこと自体が目的化していますね。こういう会話で、異文化交流が好きなのを英語が好きと言っても何ら問題ないのに、空気を読まずに論理の甘さを指摘するのは野暮です。実際、最後に、「理屈っぽいのは知ってるし、別に私にはこういう話をしてもいいけど、他の子にはやめた方がいいよ」とたしなめられました。
皆さんも気を付けてください。
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4 まとめ
論理的な主張と目的 ― 手段
目的と手段が、論理的な主張を組み立てるときに、どのように関係するかをまとめておきます。
現状を観察することで、問題を認識し、その問題を解決しないといけないという考えに至ります。ですから、結論は「問題を解決すべし」といった形になります。
図12.4.論理的な主張と目的と手段
そして、論理的な主張には、結論と根拠が必要でした。では、結論を支える根拠には何が来るのでしょうか。
まず、問題が本当に問題なのか、解決しなければならなのか、といったことに答えないといけません。ですから、根拠には目的が現れることになります。
図12.4.論理的な主張と目的と手段
そして、目的たる根拠には少なくとも2つの要素が現れます。
何故それが問題なのかという目的性と、その問題を解決する必要があるという必要性です。
言ってみれば、目的自体は、目的性と必要性の2つの前提を合せた結論と言えます。
図12.4.論理的な主張と目的と手段
問題が問題であり、解決の必要性があることが分かれば、何をして、どうやって解決するのかに答えないといけません。ですから、もう1つの根拠として手段を述べないといけません。
図12.4.論理的な主張と目的と手段
そして、手段たる根拠にも少なくとも2つの要素が現れます。
その手段が問題の解決に効果があるのかという実効性と、その手段が現実に実行することができるのかという実現可能性(実現性)です。
ここでも、手段は、実効性と実現可能性(実現性)の2つの前提を合せた結論と言えます。
図12.4.論理的な主張と目的と手段
こうして見ると、いわゆる why and how? の形式になっているのが分かります。つまり、「問題を解決すべし」という結論に対して、why?、つまり「何故?」と理由を問われると根拠の目的で答え、how?、「どうやって?」と方法を問われると根拠の手段で答えています。
図12.4.論理的な主張と目的と手段
「問題を解決すべし」に、「何故?」と聞かれたら「目的だから」、「どうやって?」と聞かれたら「手段で」という答え方になっていることが分かると、巷でよく言われる論理的な主張は、why and how? に答えているということが納得いきます。
そして、目的と手段が結論を支える根拠の二本柱だから、手段は常に目的達成志向の下に考えないと、根拠たる手段が結論を正しく支えなくなることも分かります。
もちろん、常に論理的な主張が、この why and how? の形式に当てはまるわけではありません。
何が問題点なのかもいまいち分かっていない段階では、現状の問題点を分析して、「これが問題だ」と述べているだけの場合もあります。
また、それよりは進んだ段階では、議論をする上で皆が目的を共有しているので、目的は明示せず、結論の「問題を解決すべし」も言わずに、ひたすら手段について述べている主張もあります。
こうした目的のみの主張や、手段のみの主張でも、明示されていない社会状況や時代背景を考慮した大きな視点でとらえ直すと、この why and how? の形式になっている傾向がかなり強いです。現代文や英語長文を読む際も、これを意識すると、論理の展開が掴みやすくなります。
そして、論理的思考で問題解決をするとき、目的性・必要性、実効性・実現可能性を微視的に分析するとともに、問題が解決されることで現状がどのように良くなるのかという巨視的な総合が必要になることを意識しておいてください。
前頁:第11章(補講) 論理と誤謬
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