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第1章 論理的であるとは
現実世界で使える「論理的であること」とはどういうことかをまず考えてみましょう。
目次 |
1 形式面:結論と根拠 2 実質面:関連性と隠れた根拠 3 推論とその問題点 4 まとめ テキストのダウンロード[詳細] 通常版 既述版 |
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1 形式面 結論と根拠
「論理的であること」とはどういうことなのかについて検討してみましょう。
まず、論理的な人と言うとき、どんな人を思い浮かべるでしょうか。
筋の通った話をする人、分かりやすい話をする人など、話の内容面を表す場合もあれば、堅物、融通が利かない人といった性格を指す場合もあります。
本来「論理的であること」と性格は無関係なので、前者の話の内容面を指す場合を考えます。
話の内容面について「論理的であること」というためには、話の内容が論理的であるということだから、論理が上手く使用できていることと言えます。
では、どのような場合に、論理が上手く使えていると言ってもよいのでしょうか。簡単な例を使って明らかにしていきます。(1.1)を見てください。
(1.1)とある冬の日に太郎と花子が一朗について話している。 太郎:「一朗は風邪を引くだろう。」 |
この場合、太郎は結論のみを述べているので、説得的ではありません。なぜ「一朗は風邪を引く」と言えるのかが不明だからです。
これでは花子は太郎と同じことを思っていない限り、賛成しませんね。花子は「何を根拠に言ってるんだろう」と思うはずです。
それでは、次の(1.2)ように主張したらどうなるでしょうか。
(1.2) 太郎:「一朗は風邪を引くだろう。昨日会った時に寒気がすると言っていたからね。」 |
この場合、太郎は結論に加えて根拠・理由も述べているので、先程の結論のみよりも説得的になります。
こうなれば、花子は、たとえ太郎の結論と同じことを予め思っていなかったとしても、太郎の主張を受け入れる可能性が出てきます。少なくとも、花子が太郎の主張を受け入れなかったとしても、一理あるとは思ってくれるはずです。
このことから分かるのは、論理的な主張には結論部分と根拠部分がある ということです。
仮に結論のみの主張だとしたら、それは最初から同意見の者のみに有効であり、そうでない者に対しては何ら理解できるものではなくなります。 つまり、結論のみの主張は意見を異にする者に対しては有効でないということです。意見が違う相手に対して理解してもらうためには、結論だけでなく根拠も必要になるということは、よく心に留めておかなければなりません。
このように、論理的な主張というためには、結論だけでなく、それを支える根拠が必要であるということが分かりました。
これは「論理的である」ということを形式面から見た場合に必要な要素と言えます。結論と根拠がそろっているという形を備えていることが必要だということです。
2 内容面 関連性と隠れた前提
では、太郎が次の(1.3)ような根拠で主張したらどうでしょうか。
(1.3) 太郎:「一朗は風邪を引くだろう。昨日アイスクリームを食べていたからね。」 |
このなると、太郎の主張は筋の悪いものになり、受け入れ難いものになります。
いやいや主張に結論も根拠もあるのだから論理的だし、別にいいだろうと思った人は、(1.2)と(1.3)を比べて、結論と根拠の関係性をよく吟味してみてください。
(1.3)の意味することは、「アイスクリームを食た」ことが「風邪を引く」ことの徴候ということです。しかし、自分の経験を振り返っても、これが筋の通ったものと理解するのは難しいでしょう。
それに対して、(1.2)の意味することは「寒気がする」ことが「風邪を引く」ことの徴候ということです。これなら、自分の経験に照らしても、一応は筋の通ったものと理解することはできるでしょう。
これから分かることは、論理的な主張において根拠が結論を支えるためには、結論と根拠に関連性があることが必要だということです。
結論と根拠に関連性があるかないかが、論理的な主張であるか否かを判断する鍵となることが分かりました。
それでは結論と根拠に、関連性がある、または関連性がないと判断する場合に、何が重要なのでしょうか。
もう一度(1.2)を見てください。
(1.2) 太郎:「一朗は風邪を引くだろう。昨日会った時に寒気がすると言っていたからね。」 |
(1.2)では、結論の「一朗は風邪を引く」支える根拠として「(一朗が)昨日会った時に寒気がすると言っていた」ことを挙げていまが、どうして根拠が結論を支えている、つまり関連性があると私達は判断したのでしょうか。
先程(1結論と根拠)において(1.2)と(1.3)の比較したとき、自分達の経験に照らし合わせて考えていましたね。(1.2)において、経験上から、寒気があることが風邪を引く徴候だということを分かっており、それゆえに、結論と根拠に関連性があると判断したのですね。
そうすると、そもそも根拠の「(一朗が)昨日会った時に寒気がすると言っていた」という事実が、結論の「一朗は風邪を引く」を論理的であると足らしめている理由は、「寒気がすると風邪を引く」という経験則があるからということになります。
このように、根拠となる事実が結論を導くためには、言明されていない根拠、つまり隠れた前提があることが重要であることが分かります。
隠れた前提を明示する形で、(1.2)を少し細かく表してみるとこのようになります。
(1.2) 太郎:「一朗は風邪を引くだろう。昨日会った時に寒気がすると言っていたからね。」 <隠れた前提>寒気がすると風邪を引く <根拠> 一朗は寒気がする ↓ [結論] 一朗は風邪を引くだろう |
同じように、(1.3)の隠れた前提を表してみるとこうなります。
(1.3) 太郎:「一朗は風邪を引くだろう。昨日アイスクリームを食べていたからね。」 <隠れた前提>アイスクリームを食べると風邪を引く <根拠> 一朗はアイスクリームを食べた ↓ [結論] 一朗は風邪を引くだろう |
隠れた前提を明示してみると、(1.2)と(1.3)の相違点がより明確になりました。
(1.3)の「アイスクリームを食べると風邪を引く」というのは、日常の経験からは考えにくく正しくないと判断しているので、結論と根拠に関連性がない、よって論理的でないと考えられるのです。
これに対して(1.2)の「寒気がすると風邪を引く」というのは、日常の経験からは正しい、少なくともそう言っても構わないと判断できるので、結論と根拠に関連性がある、よって論理的であると考えられるのです。
もっと詳しく言えば、(1.3)は結論と根拠を備えた主張なので、一見すると形式的には論理的であるように見えます。
しかし、内容面からは論理的と考えられない。その理由は、隠れた前提が誤っており、誤った事実を根拠にして導かれた主張では、結論と根拠に関連性があるとは言えず、論理的でないと考えられるからです。
つまり形式的に論理的でも、内容的には論理的でないということがあります。
形式的に論理的であるとは、主張に結論と根拠がある。
内容的に論理的であるとは、結論と根拠に関連性がある。
関連性の有無の判断は、結論と根拠自体の関連性に加えて、隠れた前提を考える必要がある。
まとめると、「論理的であること」は「正しい方法で事実や考えを関連付ける思考過程ができていること」と言えて、結論と根拠と隠れた前提に関連性があることを検討すればよいことが分かりました。
「論理的である」とは形式面だけでなく内容面からも考える必要がよく分かります。
大抵の人は、結論と根拠を備えて主張することを教えられると、形式面では実行できます。
自分の中では形式面は満たしているはずなのに論理的でないと言われる人は、内容面を吟味してみてください。
つまり、結論と根拠の関連性を考えてみる、さらにその関連性を探るために、隠れた前提が何かを考えてみる。
こうやって分析していくことが、論理的な思考ができるための第一歩となります。
3 推論とその問題点
再び(1.2)に戻って、「論理的である」ことについての考察を深めていきたいと思います。
(1.2) 太郎:「一朗は風邪を引くだろう。昨日会った時に寒気がすると言っていたからね。」 <隠れた前提>寒気がすると風邪を引く <根拠> 一朗は寒気がする ↓ [結論] 一朗は風邪を引くだろう |
明言されていない隠れた前提「寒気がすると風邪を引く」は、太郎と花子の間では余りにも当たり前のこと、つまり既知のこととして確認するまでもない知識だと言えます。
さらに、太郎は新しい事実を述べます。「昨日会った時に(一朗は)寒気がすると言っていたからね」と。
これを根拠として、結論「一朗は風邪を引くだろう」ということを導いています。
このように既知のコトから未知のコトを考えて論理的に導くことを推論といいます。
(1.2)では、既に知っているコトはの2つの事実、つまり隠れた前提「寒気がすると風邪を引く」と根拠「(一朗は)寒気がすると言ってい」です。これから未だ知しらないコトの結論「一朗は風邪を引くだろう」を推論しているということです。
推論の良い所は、正しい前提から出発して、推論が正しく行われていれば、結論は論理的に常に正しくなることです。
なお、前提となる根拠とそれから導かれる結論とその過程の推論を合せた全体を論証と言います。
ここで推論と予測をごちゃ混ぜにしている人がよく見られるので、推論と予測は基本的に違います。
(1.2)の例「一朗は風邪を引くだろう。昨日会った時に寒気がすると言っていたからね」で見れば、実際の日常生活では、一朗は風邪を引くかもしれないし、引かないかもしれません。太郎の主張は将来どうなるかを予言・予想しているだけで、実際にその予言・予想が正しいか否かは結果を見るまで分かりません。
この点においては、太郎は既知の事柄から未来の結果を予測していると言えます。
しかし、推論といった場合、論理的には、「寒気がすると風邪を引く」という隠れた前提から、「(一朗が)昨日会った時に寒気がすると言っていた」という事実を根拠 として、「一朗は風邪を引くだろう」という結論を導くことは論理的には常に正しいことになります。なぜならば、正しい前提から出発して、推論が正しく行われていれば、結論は論理的に常に正しくなるからです。
一朗が、実際に風邪を引いても引かなくても、寒気がすると言った時点で、風邪を引くと予測することは的外れではないことになく、論理的な推論の枠内にあることになります。
これは、推論が「論理」に絞って考えており、論理的であるか否かが問題になっていることに拠ります。最初の前提が正しいとした場合、論理の流れが正しければ、結論も必ず正しくなるというのが論理学の中での約束事なのです。
このように、予測とは、将来の結果を予想して予言しており、予測が当たることもあれば当たらないこともあります。当たれば予測は正しかったことが分かりますが、当たらなければ予測は外れて間違ったものということになります。
これに対して、推論は論理的な関係のみを問題としているので、結果が実際に起きるか否かは問題にしていません。もちろん正しい推論を行って、結果を予測することはありますが、予測がはずれたからといって、直ちに推論までもが正しくないということにはなりません。正しく推論し論理的に見えて結果はこうなると予測したとしても、必要な情報が不足していたり、誤った前提から出発していると予測は当たりません。
推論をする際には、予測と混同しないようにしなければなりません。
必ずしも推論の正しさが常に現実の結論の正しさを保証するわけでないことは、次の例を見ればよく分かります。
(1.3)の例「一朗は風邪を引くだろう。昨日アイスクリームを食べていたからね」において、最初に「アイスクリームを食べると風邪を引く」という隠れた前提を正しいと仮定します。
そうすると、「(一朗が)アイスクリームを食べていた」を根拠とした推論の結果たる結論「一朗は風邪を引くだろう」は正しいことになります。
このように、論理学の約束事を利用すれば、日常では正しいと考えられないことも、正しく論理的なものにできてしまいます。
論理学は、一番最初の出発点の前提の正しさまでも保証しておらず、あくまで推論の正しさのみを取り扱っていることに気を付けておかなければなりません。
論理学自体は思考訓練や新しい発見を行う上で非常に有益とはいえ、それ以外の学問をする場合や議論をする場合には論理学の約束事を正確に守ると、不都合な面が出てくることになります。
では、最初の出発点の前提の正しさはどのように保証されるのでしょうか。またはどのような前提から出発するべきなのでしょうか。
それは、とことんモノの始まりを探求して、今のところここまで明らかになっており正しいことだと言えるものから始めるのが一番良いと言えるでしょう。
そのような知識を集めたり研究するのが学問と言えます。学校や大学の勉強で覚える無味乾燥に感じられる知識は、推論の出発点として必要不可欠なものなんですね。
そして、正確な知識があるからこそ、隠れた前提を見つけ出せて、結論と根拠に関連性があるか否かを判断できると言えます。
論理的思考力が重要だ、自分で考える力が必要だとよく言われますし、詰め込み教育を叩く向きもありますが、論理的思考力は正確な知識が大前提にあることを忘れないでください。思考力以前に、それを支える知識が不足している可能性もあるわけです。どこまで知識でどこから思考力なのかということはハッキリと分かりませんが、バランスよく鍛えていくことが大事です。
4 まとめ
今までの話をまとめると、論理的思考は、「正しい推論と正しい知識によって思考すること」とまとめられます。
そして、具体的には次のようなことを考えればよいことになります。
(1)形式として主張は「結論と根拠を伴ったもの」になっているか。主張するにあたって、結論だけでなく根拠も示しているかという形式面のことです。
(2)内容面として「結論と根拠に正しい関連性がある」か。根拠が結論を支えるためには、両者に関連性が必要になるからです。また論理学とは異なり、現実世界でその関連性に妥当性があるかが重要になります。
さらに「関連性を担保する隠れた前提は何」か。隠れた前提は省略されますが、結論に対する根拠の1つになっていることが多いので、見つけ出す必要があります。
論理的であること =(1)正しい推論+(2)正しい知識 (1)形式面 論理的主張 || 結論 (2)内容面 + ← 関連性 根拠 + 隠れた前提の発見 |
結論と根拠は明示されているので、気付きやすいですが、隠れた前提は明示されていないがゆえに気付きにくいものです。
そして、隠れた前提に気付かないと、結論と根拠の間に関連性があることに気付かず、推論が論理的に飛躍したり誤りがあると感じやすいです。
相手の主張を崩す場合にも、隠れた前提を見つけ出すことが有効になります。
こうした結論と根拠、その関連性と隠れた前提の4つを中心に置きながら、推論方法を学んでいきましょう。
なお、次から根拠も前提と言うことがあります。なぜならば、根拠も隠れた前提と同様に、結論を導く前提になっているからです。したがって、結論を導くための前提は、明示された前提と、明示されていない隠れた前提の2種類あることになります。明示されている前提は単に前提とし、明示されていない前提を隠れた前提とします。ただし、明示された前提と明示されていない前提を併せて、単に前提と呼ぶこともありますので、文脈から判断してください。
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