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第21章 論理ピラミッド - 現象型の問題 -
論理ピラミッド(ピラミッドストラクチャー)を用いて、「現象型」の問題を分析する方法を学びます。
問題が何なのか、その原因は何なのか、といったことを明らかにするという目的意識の下に、論理ピラミッドを組み立てて行きます。
基本的にはボトムアップ方式で論理ピラミッドを構築することになります。
目次 |
1 「現象型」の問題 2 論理ピラミッドの作成準備 3 論理ピラミッドの作成 4 問題が「構造型」か「現象型」か 5 同一命題の複数使用 6 まとめ テキストのダウンロード[詳細] 通常版 既述版 配布資料 |
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1 「現象型」の問題とは
論理ツリーで「困ったこと」と原因が1対1に対応するような「発生型」の問題を、因果関係図で複数の「困ったこと」が絡み合う「構造型」の問題を分析する方法を学びました。
最後に、「現象型」の問題について学びます。
「現象型」の問題の特徴をまず押さえておきましょう。
既に学んだ「発生型」の問題と「構造型」の問題と比較することで、その特徴がよりハッキリと分かります。
まず「現象型」の問題は、複数の「困ったこと」が生じている問題です。
「現象型」の問題は複数の「困ったこと」が生じていることから、単発的な「困ったこと」が発生していないので、「発生型」の問題とは異なった問題になります。
「発生型」の問題では、単発的に現れる「困ったこと」である場合が多く、「困ったこと」と原因が1対1に対応していました。
「現象型」の問題が、「発生型」の問題とは異なり、単発的ではない、複数の「困ったこと」が生じているということは、論理ツリーとの相性が悪いことになります。
論理ツリーでは、「困ったこと」をダブりなくモレなく(MECE)考えられる具体的な原因に分解して、「困ったこと」と原因の対応を検討しました。ですが、「困ったこと」が複数あるということは、「困ったこと」と原因が1対1に対応しないことを意味します。したがって、論理ツリーによる分解では適切な分析ができないことが多くなりました。
このように、「発生型」の問題とかなり異なる「現象型」の問題は、複数の「困ったこと」が現れているという点では、「構造型」の問題と似た問題です。
それでは、「構造型」と「現象型」の問題はどう違うのでしょうか。わざわざ違う名前をつけて区別しているからには、何かしらの違いがあるはずです。
「構造型」の問題の特徴は、構造的な因果関係から生じていることでした。
つまり、複数の事象がそれぞれ何かしらの機能を果たしつつ、相互に関係して複数の「困ったこと」が連続的に現れる、という結果を引き起こしている問題です。
そして、各事象の果たしている機能と相互の関係性は、原因と結果の関係である因果関係によって捉えました。
各事象の因果関係が明らかになることで、問題の構造が浮き上がりました。
したがって、因果関係図が分析に役に立ちます。
「現象型」の問題が「構造型」の問題と違うのは、各事象の因果関係が明確には分からないことです。
したがって、因果関係がよく分からないが、複数の「困ったこと」が連続的に現れており、問題になっているものが、「現象型」の問題だと言えます。
問題の構造が分からないので、現象を現象のまま受け入れることになります。
このことから、「現象型」の問題は、因果関係の構造が必ずしも明確ではないが、複数の「困ったこと」が連続的に現れて、全体として「困ったこと」になっているものと言えます。
この場合、現象として見えている多くの「困ったこと」をしっかりと認識することが大切になります。そして、その多くの「困ったこと」によって形成される本質的な問題と本質的な原因が何なのかを上手く捉えることを目指すことになります。
(以下、雑談的に「現象」について解説している。「現象」を「事実」として扱い、主張の根拠たる前提に用いる際の注意点を述べている。要はバランス感覚が大切になるということを述べているだけだ。興味がなければ、飛ばして2 論理ピラミッド作成の準備に進んでも構わない。)
▼「現象」の話を飛ばす
ところで、余談になりますが、「現象」とは何でしょうか。
哲学や認識論を勉強していると、「現象」という言葉によく出会います。
古くはプラトンの現象界-イデア界の対比で出てきます。
現代に直接的な影響を与えているということで有名なのは、ドイツの大哲学者カントから始まり、現象学を創始したドイツの哲学者フッサールが使う「現象」でしょう。
「現象」も、「観念」という言葉と同様、人によって使い方が微妙に異なるので、ここでは大きく捉えることにします。
日常的な用法としての「現象」は、「人間が知覚することのできるすべての物事」といった意味や、「自然界や人間界で形をとって現れるもの」といった意味になります。
「象」が「形」という意味なので、「現象」はまさに「象が現れる」こと、あるいは、「現れた象」だと言えます。
そこで、哲学的な意味まで深めて「現象」について考えます。これは「観念」にも絡む話です。
私達人間は、何かしら物を見たとき、頭の中で、その物の印象を抱きます。
つまり、現実の世界にある事物を対象として、意識の中にその対象を思い浮かべます。
この意識の中の対象が観念であり、現実の世界にある対象と区別します。
このように、私達は、意識の中に観念を抱いて、対象である事物が存在していると認識します。
しかし、よくよく考えてみると、事物が実際に存在しているということは保証できません。事物が存在しているかいないかも分かりません。
このことについて掘り下げて行きます。
改めて確認ですが、私達が「対象たる事物が実際に存在している」と考えるとき、意識の中に対象である観念が生じることで、その観念に対応する事物が実際に存在していると考えています。
このことは疑いようがありません。デカルト的に言えば、「我思う、ゆえに我あり」です。
しかし、意識の中の観念が存在するからといって、現実の世界にその対象たる事物がそのまま存在しているという保証はどこにもありません。
「事物がそのようにある」と考えていること以外は、確かなことはないのです。
つまり、人間が意識の中に抱いている事物の形と、現実に存在している事物の形が一致していることは、保証されていないことになります。
このことを踏まえると、人間は、「意識に浮かんだ物が現実にも存在している」と確信することで、物事を考えていることになります。
これは一種の思い込みと言ってもいいかもしれません。
事物が本当はどのような形をしており、どのような性質なのかということを確認することはできないが、経験や知識を通じて、「そういうものだ」と判断していることになります。
したがって、「現象」とは、主観的に認識した意識に現れる事象や事物と言えます。
すべては主観的な自分の認識でしかなく、意識にある現象でしかなく、現実世界の事物それ自体が一体どうなっているのかは分からないままです。
人間が「世界や事物がそうなっている」と考えるから、現実の世界や事物がそうなっているだけです。
現実の世界や事物がそうなっているから、人間が「世界をそうなっている」と正しく理解しているのではありません。
つまり、事物が存在しているから、私達の意識の中にそのように事物が存在しているのではなく、私達がそう考えているから、事物がそのように存在していることになっているだけなのです。カントの言葉で言えば、コペルニクス的転回です。
カント以前では、事物が最初にあって、それを人間が認識していたと考えられていました。
しかし、カントは、認識する人間が事物がそのように存在すると考えているから、そのように存在していると認識しているだけで、実際に事物がどうなっているのかは分からないのだ、としました。
まさに、コペルニクスが地球を中心として太陽が地球の周りを回っているという天動説を否定して、太陽の周りを地球が回っているという地動説の正しさを証明したように、従来の考え方を180度ひっくり返すような大転換だったのです。
さらに、あの有名なドイツの哲学者ニーチェは、「事実などは存在しない、ただ解釈だけが存在する」と言いました。
人間は、事実に沿って、事実を認識するのではなく、自分がそうだと思いたいものに沿って、物事を解釈して「事実」と考えてしまう、ということを端的に表した文句です。
これを突き詰めると、私達が今「鉛筆」だと確信しているものも、本当に「鉛筆」だと言えるのか怪しくなってきます。そして、人間が共通認識している物や常識も、本当に皆が皆同じ意味に理解しているかも怪しくなってきます。こうした根本の根本から考えることは、非常に大切です。哲学にしろその他の学問にしろ、こうしたことを考えることで、色々な発見がなされます。議論の主題によっては、こうしたことから組み立てて行くことも時には必要です。
しかし、ここまで疑っていたら、大抵の話はほとんど進まなくなってしまいます。
一々「鉛筆」は「鉛筆」なのかといったことまでを確認しなければならないとすると、1つ1つの物事の定義をしていかないといけません。
実際に、まず「鉛筆」とは一体何なのかを確認しようということから始めていると、問題を解決するための考えに行き着く頃には、問題が解決不能になっているかもしれません。何だかよく分からないが、「困ったこと」があって問題だと感じているのに、現実の世界をそのまま理解できないからと言って、何も策を講じないのでは、話になりません。
そこで、妥協点として、「一応皆がそうだと思うことは、客観的な事実や事柄として存在していることだ」として論理を構築することになります。
「皆」と言えば、十人中十人がそうだと思うことを意味しますが、中には捻くれた人もいますし、十中八九の人がそうだと思うことでもいいです。とにかく、ほとんど解釈に差が出ないことを「事実」として扱うことにします。
「鉛筆」それ自体は現実の世界でどのような形をしているかは分かりませんが、皆が「鉛筆」と思っているなら、それは「鉛筆」であるという「事実」にします。論理ピラミッドでは、こうした「事実」が最下位命題に置かれることになります。
では、何故わざわざ「現象」という言葉について説明したかと言えば、「事実」を元にして論理ピラミッドを構築しても、一般的・抽象的な命題が導かれるに従って、次第に「事実」とは言えなくなることが多くなってくるからです。
この論理が「事実」と乖離していく理由は推論の性質によります。
推論では、「事実」を前提にして論理的に新しい結論を導きます。
このとき、新しい結論には、前提である「事実」にはない情報が追加されることが多かったです。
これが解釈に幅が生じる原因になります。
つまり、最初に皆が納得する「事実」から開始しても、推論が積み重なって行くと、「事実」から離れて行くことになります。
このとき、「事実」と乖離しながらも、一応「事実」と言える範囲に結論が収まっていることが重要になります。つまり、結論と「事実」の乖離が、それでも「事実」だと思える範囲に収まっているかは常に意識しておいてください。
もし推論の結果、結論が「事実」から乖離し過ぎていると、その結論は机上の空論や妄想といったものになります。
小説や思考実験としては面白いが、現実の問題に直接的に対処できるものではないものになります。
特に、目に見えないものを何とか理解しようとする場合、複数の「事実」から推論を行うことで、「目には見えないが、こういったことが存在する」ということを述べようとします。
推論の結果として得られた「事実」の解釈は、そう解釈した人にとっては「現象」として確かに存在しているように思えます。
しかし、「目には見えない」ために、他の人にとっては、「事実」とは言えず、したがって、「現象」とも言えない、ということが起こり得ます。
今まで見て来た、「今の世の中の問題を解決するには、論理的思考が重要である」という主張を例にとって考えてみましょう(第13章 演繹法と帰納法の絡み、第20章 論理ピラミッド)。
この主張は「現象」です。これって「目に見えない」ことです。
「論理的思考が重要である」という目に見える事物があるわけではありません。つまり、単なる1つの考え・意見・解釈でしかなく、皆が皆認めて事物として存在するような「事実」ではありません。
にもかからわず、結構な人がこの「論理的思考が重要である」という意見は正しいと考えているはずです。
さらには、他のことが主題になっている場面では、この意見が「事実」のように扱われることもあります。
これは、「論理的思考が重要である」という「現象」を、「事実」を元にして、無理のない推論を丁寧に積み重ねて導いたから、説得的で納得できるものとして受け入れられるようになったからです。
このように、世の中には、本来は主観的でしかないはずの「現象」が、あたかも確固として存在する客観的な「事実」のように扱われていることが多いです。
実際、「論理的思考が重要である」という「現象」は、「事実」ではありませんが、今の世の中の人の多くは、これを当然のものとして、まるで「事実」であるかのように扱っています。
何かを主張するときも、この「論理的思考が重要である」という「現象」を下位階層に置いて、「事実」である前提たる根拠として用いて、何かしらの結論を導くことがあります。
でも、「事実」としてあるのは、「論理的思考が重要である」という「現象」ではなく、
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といった複数の「事実」でした。
最下位階層を抜き出せば、「事実」として存在しているのは、
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ということしかありません。
図20.6.トップダウン方式による論理構築 画像クリックで拡大
このように、「論理的思考が重要である」という「現象」は、決して目に見える「事実」として存在はしていません。しかし、「現象」が確かに存在していると多くの人に思われれば、それは一種の「事実」として、客観的であり、確固として存在しているものとして扱われるようになります。
そして、「現象」を「事実」として世間一般で扱われるようにすることは、結構簡単です。
テレビや新聞で、そんなに細かい説明や掘り下げを行わずに、「今こういう『現象』があります」と大量に何回も何回も繰り返し流します。
そうすると、何だかよく分からないけど、「今そういう『現象』があるのか」と多くの人が思うようになります。
そうなれば、その「現象」は一種の「事実」として扱われるようになります。
これで完成です。
こうやって「現象」を「事実」化してしまえば、その「現象」を「事実」として扱っても、特に突っ込まれなくなります。
誰からも突っ込まれないならば、特段証明あるいは説明することなく、その「現象」を前提に主張ができるようになります。
本来なら「事実」ではない「現象」を最下位階層に置いた主張は論理性が弱く説得力の弱いものになるにもかかわらず、疑問に思われずに説得的に見せることができています。
自分の意見を通したい場合、これができれば簡単に相手を説得できるのだから、素晴らしい方法ですね。
このように、本来なら主観的で一意見や解釈でしかない「現象」なのに、確固として存在している客観的な「事実」であるように扱われていることが、世の中には多くあります。
ですから、何かを考えるときは、批判的思考が重要になります。
一度「事実」が「現象」なのではないか、と批判的に考えてみることが大切になります。
そうすると、「事実」だと思っていたことが、実は思い込みや偏見でしかなかったことに気付いたりします。また、物事の理解が深まったり、新たな発見ができます。
ただし、こうした疑って考えることの大切さや、「事実」というのは本当に少なく多くのことが「現象」だということを教えると、極端に走る人が少なからず出て来ていしまいます。
「事実」だと思っていたことが、そうでもないと分かると、ついつい「現象」を軽視するようになってしまいます。
「事実」が「現象」だと気付くことは、それ自体が目新しいですし、理解が深まった気がします。おまけに、皆が「事実」と思い込んでいることが、「現象」だと分かると、「事実」と思い込んでいる人に対して、誤りを正して真実を示してあげようと考えて来る人が出てきます。こうした活動は啓蒙と呼ばれますが、これは左翼の人に多いですね。
しかし、「事実」ではなくとも、「現象」が確度の高いものであれば、それは後でひっくり返るかもしれないという可能性は残しつつも、一種の「事実」として扱うことを受け入れないと、何も始まらないことがになってしまうことが多いです。
ですから、「現象」を無批判に「事実」として受け入れるのもダメですが、厳密な意味での「事実」ではないからと言って「現象」を頑なに拒絶するのもダメです。
要は、バランス感覚が大切です。
「事実」を元にした妥当な推論によって導かれた「現象」ならば、適切な場面では一種の「事実」のように扱ってもよしとします。
同時に、「現象」は「事実」を元にしても、解釈や意見でしかないので、「事実」や推論が崩れれば、「現象」を「事実」として扱うことをやめます。
こうした柔軟な姿勢が重要になってきます。
ちょっと話が長くなってしまいましたが、「現象」とは何なのかについての話から、「現象」を「事実」として扱う際の注意点まで広げました。
▲「現象」の話に戻る
それでは、「現象型」の問題の分析の仕方について入って行きましょう。
2 論理ピラミッド作成の準備
それでは、論理ピラミッドで「現象型」の問題を実際に分析してみましょう。
(21.1)ハーバード大学を始めとするアイビー・リーグの大学かそれに相当する大学に留学したいので、TOEFL を受験した。結果は、Reading 27/30、Listening 27/30、Writing 25/30、Speaking 21/30 で合計 100/120 だった。十分に高得点と言えるが、安全策として最低でも108点、できれば110点以上とっておきたい。 Speaking の点が他に比べて若干だが低いことは分かるが、得点が既に100点と高く、これ以上の向上を目指すならば、英語の学力を総合的に上げて行く必要があることは分かる。一体、どのようなことが問題であるのかを、以下の事実から考えよ。 事実
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日本の大学に入ったら、海外の大学院に留学をしようかと考える人も多いでしょう。最近、洗脳に近いのではないかと思うほどに、グローバル化という言葉を聞かされてますからね。
それで、アメリカの大学に留学するなら、英語が使えることを証明するための試験である TOEFL を受験することになります。
イギリスの大学なら IELTS という試験になります。
と言っても、最近はアメリカの大学でも IELTS が使えたり、イギリスの大学でも TOEFL が使える場合も増えてきましたが。カナダはアメリカ系に、オーストラリアやニュージーランドはイギリス系となりますが、大学が両方を認めているのか、一方のみを認めているのかは自分でよく調べておいてください。
それでは、TOEFL を知らない人のためにちょっと説明しておきます。
TOEFL はTest of English as a Foreign Language の略です。直訳するなら、「外国語としての英語の試験」となります。
母国語が英語ではない人用の試験で、どれだけ英語を使えるかの能力を測ります。
測定される技能は、読解 Reading、聴解 Listening、論述 Writing、口述 Speaking の4つです。
各30点満点で、合計120点満点で英語の能力を総合的に測ります。
一応、大学や大学院で英語を使って学ぶための能力を測るので、学術系の語彙や表現が中心になりますが、大学生活を行うための日常的な表現も問われることもあります。
この TOEFL は結構難しいです。
受験英語をまともに経験していれば、語彙の面をクリアすれば Reading はそこそことれるかもしれません。それでも結構苦戦するでしょう。
Listening については、量も内容もセンター試験レベルよりもはるかに高いです。
Writing は、1問につき 300 words 以上書く必要があります。文法・語法があやふやだと話になりませんし、二次試験でまともに英文を書いたことがないと、おそらく壊滅します。
Speaking は、要約させられたり、論理的に意見を英語で述べらされたりするので、大学受験の延長では多くの人が手も足も出ないと思います。
こう言うと、途方に暮れるかもしれませんが、Writing も Speaking も論理的に表現するために、導入→内容→結論の型を用意しておいて、出題内容に当てはめる練習をすれば、英語がペラペラでもなくても何とか対策はできます。こうした論理的な主張・文章の構造は次の章で学びます。
この TOEFL の点数が英語圏の大学に留学する上で必要になってきます。
大学留学なら80点以上くらいあれば、そこそこ良い大学に行けるかと思います。
大学院留学なら100点以上なら、良い大学院に行ける目安になります。
もちろん、TOEFL の点が高いだけではダメです。英語以外の数学などの基礎学力も見られます。
大学なら学力試験の SAT の点数、大学院なら GRE やGMAT の点数も求められます。
後は、何がしたいのかというアピールのエッセイも必要です。
そして、推薦状という七光が強く関わってきます。コネがあれば、少々点数が低くとも入れちゃいます。
ちなみに、日本では、TOEIC が有名ですが、こちらは通常、Reading と Listening の2つのみで、受験料も TOEFL の半額以下です。
内容は学術的ではなくビジネスが主になり、あまり難しくないです。
これは個人的な考えですが、ビジネスと学術の違いがあり、受験料も安く、目的を異にすることを踏まえたうえでも、正直 TOEIC をやるくらいなら TOEFL で英語能力を測った方がいいと思っています。
さて、TOEFL がどういったものかが分かったところで、(21.1)の事実について確認します。
事実には、英語について、自分ができることとできないことが挙げられています。
自分が「できないこと」が「困ったこと」だと言えます。複数の「困ったこと」が確認できます。
(6)(8)(9)(10)が「困ったこと」です。
(6) | 文法的に正しくとも、ネイティブが読んで英語らしい表現が完璧にできるわけではない |
(8) | 話す内容を考えながら英語を話すと、英語の言い間違いに気付くと焦りが生じ、徐々にグダグダになっていく |
(9) | 自分の意見を話すことが苦手であり、出題されてからの準備時間が短く対処できない |
(10) | 話す前に内容の大枠を論理立てられるが、話し始めたら、英語表現と話すべき内容を同時処理できず、混乱する |
複数の「困ったこと」をまとめて考えずに各個撃破的に対処するのもありです。
つまり、複数の「困ったこと」を一連のまとまりとして考えずに、それぞれが独立した個別の問題として考える、ということになります。
その場合、それぞれの「困ったこと」を単発的に現れる「発生型」の問題として1個ずつ対処することになります。
しかし、TOEFL の Reading、Listening、Writing、Speaking の4分野で、Speaking が他の分野よりも少し点が低いとは言え、全体的に得点できており、総合点は十分に高いわけです。
複数の「困ったこと」も、英語の総合力を測定する試験である TOEFL の全体の中で現れており、相互に関連性がありそうだと予想されます。そうであるあならば、複数の「困ったこと」を各個撃破するのではなく、なぜ複数の「困ったこと」が発生しているのか、という本質的な問題を明らかにする方が、「困ったこと」全体を効率的に解決できると考えられます。
したがって、複数の「困ったこと」を引き起こしている本質的な問題、あるいは、本質的な原因は何なのかを考えることにします。
これは当に「現象型」の問題だと言えます。
一つ一つは「事実」として存在するが、それらが組み合わさって、何か「現象」として「困ったこと」が生じていると見做しているからです。
3 論理ピラミッドの作成
さて、この(1)〜(10)の事実および「困ったこと」から、一体何が本質的な問題、あるいは、本質的な原因だと言えるのでしょうか。
(21.1)ハーバード大学を始めとするアイビー・リーグの大学かそれに相当する大学に留学したいので、TOEFL を受験した。結果は、Reading 27/30、Listening 27/30、Writing 25/30、Speaking 21/30 で合計 100/120 だった。十分に高得点と言えるが、安全策として最低でも108点、できれば110点以上とっておきたい。 Speaking の点が他に比べて若干だが低いことは分かるが、得点が既に100点と高く、これ以上の向上を目指すならば、英語の学力を総合的に上げて行く必要があることは分かる。一体、どのようなことが問題であるのかを、以下の事実から考えよ。 事実
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最初の最初は情報収集から始まりますが、今回は一応(21.1)のように情報と事実が集まったものとします。これを踏まえて「現象型」の問題の分析の仕方を見て行きます。
まず、一体何が本質的な問題なのかと考えるためにも、(1)〜(10)の事実である命題をよく見なければなりません。
このとき、複数の「困ったこと」を引き起こしており、根本にある本質的な問題は一体何なのだろうかと考えながら一通り見てください。
そして、論理ピラミッドの作り方の基本は、各事実や命題の共通点や関連性に注目して、いくつかのまとまりに分類するグルーピングから始まります。
このグルーピングをするとき、目的達成志向が大切です。
本質的な問題、あるいは、本質的な原因は何であるのかを発見しようとする目的達成志向です。複数の「困ったこと」が現れているが、その本質は何なのかを見つけ出そうとしながら、各事実や命題のグルーピングを試みることになります。
それでは、(1)〜(10)をどのようにグルーピングしたらいいでしょうか。
色々なグルーピングの方法があります。
論理ツリーで使ったように既存の枠組み(framework 第15章 論理ツリー - what ツリー- 3 枠組み)を利用する手があります。
(20.1)に即して言えば、TOEFL の出題形式が、Reading、Listening、Writing、Speaking という4分野に分けられているので、この枠組みを利用して、各命題をまとめてみると考えることもできます。
Reading に関係する事実はこれこれで、Listening に関する事実はそれそれ、…といった具合にグルーピングします。既存の枠組みは、先人がよく検討して作成してくれていることが多いので、適用場面が正しければ、楽に各命題をグルーピングして整理できます。
しかし、既存の枠組みがいつも利用できるとは限りませんし、論理的思考による問題解決を学び修得するという本講義の目的に照らして、今回は、各事実や命題について一から自分で共通点や関連性を見出しながらグルーピングをすることにします。
私は、このように共通項や関連性を見出してグルーピングしました。
図21.1.グルーピングの例
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1つずつ見ていきます。
(1)〜(3)は、読んだり聴いたりすることに関係している命題だと考えて、グルーピングしました。
(1)「読解でも聴解でも、知らない語句と出会うことが滅多にない」、(2)「読解でも聴解でも、未知の語句が出ても、前後の文脈から推測でき、意味が分かり、内容が把握できる」、(3)「かなり複雑な構文以外なら、英語を文頭から読み聴き進めながら、処理ができ、内容を理解できる」、この3つからは、次の2つのことが共通していることに気付きます。
1つ目に、「読解と聴解」に関することだということ。
2つ目に、「読解と聴解」について、どれだけ理解できるのか、慣れているのかという「処理能力」に関すること。
したがって、(1)〜(3)は、(A)「英語の受動的処理に関する能力」であると、抽象化してまとめることができます。
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なお、「受動的」ということがどこから出て来たのかと思うかもしれませんが、これは後で説明する(B)「英語の能動的処理に関する能力」と対比的に捉えたために「受動的」という文言を入れています。
「読解と聴解」とは既に表された内容を正しく「受け取る」ことができる「処理能力」だから、(A)「英語の受動的処理に関する能力」というグループ名にしました。
また、「読解と聴解」に関することなら、(4)「流れを予測しながら読んだり聴いたりできるほど、英語の話の展開に慣れており、内容の要点を上手く押さえられる」ことも、含まれるのではないかと考えられます。
もちろん、これを(A)「英語の受動的処理に関する能力」に含めてもいいです。が、しかし、今回は私は他のグループに入れることにしました。
その理由は、(4)「流れを予測しながら読んだり聴いたりできるほど、英語の話の展開に慣れており、内容の要点を上手く押さえられる」ことを、後で説明する(C)「英語の論理処理に関する能力」に含めるためです。
確かに、(4)「流れを予測しながら読んだり聴いたりできるほど、英語の話の展開に慣れており、内容の要点を上手く押さえられる」ことは、「読解と聴解」に関することです。でも、(1)〜(3)は、純粋に「英語の表現」についての「処理能力」に関することです。
つまり、(1)〜(3)の事実あるいは命題は、主語 - 述語 - 目的語という語順が基本であり、助詞がなく名詞を動詞が支えるような構造である、といった英語自体の表現の仕方にどれだけ慣れ親しんでいるかについて述べています。
しかし、(4)「流れを予測しながら読んだり聴いたりできるほど、英語の話の展開に慣れており、内容の要点を上手く押さえられる」ことは、英語の表現の仕方というよりは話の運び方、いわば論理展開に関することです。
言語によって、その表現方法と話の展開の仕方が微妙に異なります。
最近、日本語も英語の影響を受けた論理展開がなされるようになっており、論理展開の違いに違和感を覚えなくなって来ていますが、 日本語と英語の論理展開も少し異なるところがあります。
その違いに戸惑わずに英語の話の展開の仕方を処理できるのかということが、(4)「流れを予測しながら読んだり聴いたりできるほど、英語の話の展開に慣れており、内容の要点を上手く押さえられる」ことの重点だと考えています。
したがって、英語を読んだり聴いたりできるのかという受動的な処理能力とは別に、英語の話の論理展開を理解できるのかという論理的思考に関係するものとして別グループに分類することにしています。
続いて、(5)(6)(8)(9)は、書いたり話したりすることに関係している命題だと考えて、グルーピングしました。
(5)「文法知識が正確で、知っている表現が豊富で、表したい内容を書き表すことができる」、(6)「文法的に正しくとも、ネイティブが読んで英語らしい表現が完璧にできるわけではない」、(8)「話す内容を考えながら英語を話すと、英語の言い間違いに気付くと焦りが生じ、徐々にグダグダになっていく」、(9)「自分の意見を話すことが苦手であり、出題されてからの準備時間が短く対処できない」、この4つからは、次の2つことが共通していることに気付きます。
1つ目に、「論述と口述」に関することだということ。
2つ目に、「論述と口述」について、どれだけ自分の表したいことを表せるのか、慣れているのかという「処理能力」に関すること。
したがって、(5)(6)(8)(9)は、(B)「英語の能動的処理に関する能力」である、と抽象化してまとめることができます。
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「能動的」という文言は、先程説明した(A)「英語の受動的処理に関する能力」との対比になっています。
「読解と聴解」は、表された内容を「受け取る」ため、「受動的」だと言えました。
これに対して、「論述と口述」は、「自分が表したい」内容を表すため、「能動的」だと言えます。
この「受動的」であるか「能動的」であるのかという違いは、「処理能力」でも違いが生じてきます。
よく日本人は発信力が弱いと言われますが、これは自分が伝えたい内容を相手が理解できる形で上手く伝達できないということを言っています。つまり、「能動的処理に関する能力」が弱いことを意味します。
読んだり聴いたりするのと、書いたり話したりすることは別物だというのが分かります。
また、(A)「英語の受動的処理に関する能力」でも同じようなことを言いましたが、(7)「意見論述、要約ともに、英語の論理に従って過不足なく書き表すことができる」ことと、(10)「話す前に内容の大枠を論理立てられるが、話し始めたら、英語表現と話すべき内容を同時処理できず、混乱する」ことも「論述と口述」に関することに含めてよいのではないかと考えられます。
もちろん、そのように考えてグルーピングしても構いません。が、しかし、私は一緒にグルーピングしませんでした。
その理由は、(7)と(10)は、英語の話の展開の仕方、つまり、論理展開について関係することだからです。
そして、この(7)と(10)をさっきの(4)「流れを予測しながら読んだり聴いたりできるほど、英語の話の展開に慣れており、内容の要点を上手く押さえられる」ことと併せて、「論理展開」に関する「処理能力」としてグルーピングする方が、適切だと判断したからです。
したがって、(4)「流れを予測しながら読んだり聴いたりできるほど、英語の話の展開に慣れており、内容の要点を上手く押さえられる」ことと、(7)「意見論述、要約ともに、英語の論理に従って過不足なく書き表すことができる」ことと、(10)「話す前に内容の大枠を論理立てられるが、話し始めたら、英語表現と話すべき内容を同時処理できず、混乱する」ことは、(C)「英語の論理処理に関する能力」とグルーピングします。この3つのからは、次の2つのことが共通していることに気付きます。
1つ目に、「論理展開」に関することだということ。
2つ目に、「論理展開」について、どれだけ論理を追ったり組み立てたりできるのか、慣れているのかという「処理能力」に関すること。
この2つの共通事項および関連性から、(4)(7)(10)は、(C)「英語の論理処理に関する能力」である、と抽象化してまとめることができます。
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(A)と(B)が英語自体の表現の仕方に焦点が当たっていたのに対して、(C)は英語の話の展開の仕方に焦点が当たっています。
命題や事実を共通点や関連性に応じてグルーピングすることが終わったら、グループごとに、抽象化して上位命題を導いていきます。
抽象化して上位命題を導くために、グルーピングした各命題に注目します。事実である命題から、どのようなことが導き出せるかについて考えることになります。
このとき、問題の本質を特定するという目的達成志向であることを踏まえて、
事実である各命題に共通して言える問題は何なのか、
その共通した問題はどのようなことに帰属させられるのか、
その共通した問題はどのようなことに深く関わっているのか、
といったことを抽象化することになります。
なお、常に直接的に問題であることだけが導かれるとは限りません。
最上位命題である結論を導くために必要な準備として、下位命題から高次の「事実」が上位命題として導かれることもあります。
それでは、(A)「英語の受動的処理に関する能力」から見て行きましょう。
(A)の中に分類した3つの命題(1)(2)(3)を考えることになります。
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論理的思考に慣れていれば、3つの命題を併せて同時に考えることもできるでしょうが、ここでは1つずつ丁寧に見て行くことにします。
なお、本来なら、問題を特定するという目的達成志向で上位概念を抽象化するのですが、(1)と(2)と(3)ともに、「困ったこと」ではなく、自分が「できること」を述べています。これは、現状の認識と言えます。
まず、(1)「読解でも聴解でも、知らない語句と出会うことが滅多にない」こと、(2)「読解でも聴解でも、未知の語句が出ても、前後の文脈から推測でき、意味が分かり、内容が把握できる」こと、そして、(3)「かなり複雑な構文以外なら、英語を文頭から読み聴き進めながら、処理ができ、内容を理解できる」ことをじっくりと読み込みます。
この3つの命題で気付くのは、(1)「読解でも聴解でも、知らない語句と出会うことが滅多にない」こと、(2)「読解でも聴解でも、未知の語句が出ても、前後の文脈から推測でき、意味が分かり、内容が把握できる」ことは、主に「語句」に関することだ、ということです。
それに対して、(3)「かなり複雑な構文以外なら、英語を文頭から読み聴き進めながら、処理ができ、内容を理解できる」ことは、主に「英文」を読み聴きすることに関して述べています。
したがって、最初に、(1)と(2)から上位命題を導くことにします。
(1)と(2)に共通して言えることは何でしょうか。
(1)より「知らない語句と出会うことが滅多にない」こと、(2)より「未知の語句が出ても前後の文脈から推測でき、意味が分かり、内容が把握できる」ことから、「覚えている語彙数は十分」だということが言えます。
この(1)と(2)から共通して(a1)「覚えている語彙数は十分」だということが導けることを見てみましょう。
図21.2.論理ピラミッドの作成例 画像クリックで拡大
まず、もし知らない語句が多いならば、(1)の「知らない語句と出会うことが滅多にない」ということは有り得ません。
これは当然ですね。知らない語句が多いならば、知らない語句に出会う回数は必然的に増えます。
命題として表すと、「知らない語句が多い⇒知らない語句と出会う回数は多い」となります。
図21.3.論理構造の解析 画像クリックで拡大
この命題の対偶(「P ⇒ Q」を否定して逆にするので、「Q ではない ⇒ P ではない」となる)をとります。対偶は、元の命題と同じことを意味しました。
対偶命題は、「知らない語句と出会う回数は多くない⇒知らない語句は多くない」となります。
図21.3.論理構造の解析 画像クリックで拡大
ここでの「多くない」とは「少ない」と言い換えられるので、「知らない語句と出会う回数は少ない⇒知らない語句は少ない」となります。
図21.3.論理構造の解析 画像クリックで拡大
そして、「知らない語句と出会う回数は少ない」は(1)の「知らない語句と出会うことが滅多にない」ことと同じことを言っていることになります。
そうすると、「知らない語句と出会うことが滅多にない⇒知らない語句は少ない」となります。
図21.3.論理構造の解析 画像クリックで拡大
さらに、「知らない語句は少ない」ということは、一種の二重否定であり、「知っている語句が多い」と言い換えられます。
したがって、(a1)「覚えている語彙数は十分」だと言えることになります。
図21.3.論理構造の解析 画像クリックで拡大
同様に、(2)「未知の語句が出ても前後の文脈から推測でき」ることからも、(a1)「覚えている語彙数は十分」だということが導けます。
当たり前のことですが、もし知らない語句が多いならば、未知の語句と出会ったときに、前後の文脈から推測することができません。
例えば、「お腹が空いたから、リンゴを食べた」という文を考えてください。
このとき、仮に「食べた」という語句の意味が分からないとします。
お腹が空いたから、リンゴを食べた →「食べた」という語句の意味を知らない場合 お腹が空いたからリンゴを[ ] |
このとき、「お腹」「が」「空いた」「から」「リンゴ」「を」という語句をすべて知っていれば、文脈上「食べた」という語句の意味が正しく推測できます。空腹になれば、それを満たすために、食べ物を口に入れ咀嚼し、飲み込むという動作を行うことが予測できるからです。
お腹が空いたから、リンゴを食べた →「食べた」という語句の意味を知らない場合 お腹が空いたからリンゴを[ ] ・「食べた」の意味が推測できる |
しかし、知らない語句が「食べた」だけではなく、「お腹」や「リンゴ」なども含まれると、文脈から「食べた」を推測することは困難になります。
[ ]が空いたから[ ]を[ ] ・何が言いたいのか分からない |
これを踏まえて、「知らない語句が多い⇒未知の語句の意味を推測できない」と命題化できます。
図21.4.論理構造の解析2 画像クリックで拡大
この命題の対偶をとると、「未知の語句の意味を推測できる⇒知らない語句は多くない」となります。
図21.4.論理構造の解析2 画像クリックで拡大
したがって、(2)の「未知の語句が出ても文脈から推測でき」るとあるので、「知らない語句は多くない」つまり「知らない語句は少ない」ことになります。
すなわち、「知っている語句が多い」ことが(2)からも導かれます。
したがって、(a1)「覚えている語彙数は十分」だと言えることになります。
図21.4.論理構造の解析2 画像クリックで拡大
このようにして、(1)と(2)から共通して、(a1)「覚えている語彙数は十分」だという上位命題が、抽象化でき導けました。
それでは続いて、(a1)「覚えている語彙数は十分」であることと、(3)「かなり複雑な構文以外なら、英語を文頭から読み聴き進めながら、処理ができ、内容を理解できる」ことから共通して何が言えて導けるでしょうか。
(3)との共通点を考えてみれば分かることですが、(a1)「覚えている語彙数は十分」であるという命題の内容だけでは物足りなく感じます。考えるためのネタが少ないためです。
そこで、(2)「読解でも聴解でも、未知の語句が出ても、前後の文脈から推測でき、意味が分かり、内容が把握できる」から「推測」と「内容理解」ができることを付け加えておきます。
(1)「読解でも聴解でも、知らない語句と出会うことが滅多にない」からは、「覚えている語彙数は十分」だということしか導けませんが、(2)の内容を一部追加することで、(3)との共通点を考えやすくなります。
図21.2.論理ピラミッドの作成例 画像クリックで拡大
したがって、(a1)「覚えている語彙数は十分で、馴染みのない単語等に出会っても推測でき、読解や聴解で内容理解に困ることはない」ことと、(3)「かなり複雑な構文以外なら、英語を文頭から読み聴き進めながら、処理ができ、内容を理解できる」ことから共通して何が言えて導けるかを考えます。
図21.2.論理ピラミッドの作成例 画像クリックで拡大
まず、(a1)の「内容理解に困ることはない」ことと、(3)の「内容を理解できる」ことから、(a2.1)「内容理解ができる」ことが共通することとして導けます。
これは単に共通していることを抜き出しただけなので、簡単かと思います。
次に、(a2.2)「英語を受動的に処理する能力が十分に高い」ことが導けます。
前提である(a1)「覚えている語彙数は十分」であることから、英語を受動的に処理するための基礎能力があると言えます。
やはり語彙力というのは、言語を読み聴きするための基本です。母国語である日本語でも語彙力がないと、単調で簡単な物言いしか理解できず、高度な議論には着いて行けないことにるので、このことは分かるでしょう。この講義も、最初は、基礎の基礎から言葉の意味を説明することから始めています。
このように、「覚えている語彙数は十分⇒受動的に処理するための能力がある」と言えます。
しかし、(a1)「覚えている語彙数は十分」であることだけから、「受動的に処理するための能力がある」ことを導くのは少し無理があるように感じます。
語彙数が多いだけで読み聴きができるとは、当然には思えません。皆さんも、単語帳で英単語をたくさん覚えたのに、英文が読めずに問題が解けないという経験をしたり、噂を聞いたり、実際にそういう友人を見たりしたことがあるでしょう。
そこで、(3)「英文を文頭から読み聴き進めながら、処理ができ」ることに移ります。
これから、英語を受動的に処理する能力があると言えます。実際、英語を受動的に処理する能力が低い人、つまり、英語が苦手な人には、英語と日本語の語順や文法の違いから、頭から読み聴きできずに意味が取れないことが多いです。
ということは、「英語を受動的に処理する能力が低い⇒英語を頭から読み聴きできない」ことになります。
図21.5.論理構造の解析3 画像クリックで拡大
この命題の対偶をとると、「英語を頭から読み聴きできる⇒英語を受動的に処理する能力が低くない」となります。
図21.5.論理構造の解析3 画像クリックで拡大
「能力が低くない」ことが、常に「能力が高い」ことを意味するわけではありません(第2章 推論方法の基礎 2 肯定と否定参照)。
しかし、今回は「英語を頭から読み聴きできる」ことから、少なくとも「能力はある」と言えます。
図21.5.論理構造の解析3 画像クリックで拡大
こうして、(3)からも「英語を受動的に処理する能力がある」ことが導けました。
「覚えている語彙数は十分⇒受動的に処理するための能力がある」ことと、「英語を頭から読み聴きできる⇒英語を受動的に処理する能力がある」ことを合せれば、(a2.2)「英語を受動的に処理する能力がある」ことが導けると自信を持って言えます。
さらに、(a1)「覚えている語彙数は十分で、馴染みのない単語等に出会っても推測でき、読解や聴解で内容理解に困ることはない」ことと、(3)「英語を文頭から読み聴き進めながら、処理でき」ることから、「英語を受動的に処理する能力」について、単に「能力がある」だけではなく、その「能力が十分に高い」と判断しても妥当だと言えます。
覚えている語彙数も多い上に、英語の語順で処理でき、内容を理解できることは、客観的に見ても、能力が高いと言っても言い過ぎではないと判断したからです。
したがって、(a2.2)「英語を受動的に処理する能力が十分に高い」ことが導けました。
今、導けた(a2.1)「内容理解ができる」ことと、(a2.2)「英語を受動的に処理する能力が十分に高い」ことをまとめておきます。
この2つから、(a2)「英語を受動的に処理する能力が十分に高く、内容理解ができる」ことが上位命題として導けています。
図21.2.論理ピラミッドの作成例 画像クリックで拡大
これで抽象化した上位命題として終わってもいいのですが、下位命題から抽象化したことを、一読しただけで何を言っているのか分かるようにしておきたいと思います。
(a2)「受動的に処理する能力が十分に高く、内容理解ができる」のは、「読解と聴解」についてでした。
(1)も(2)も「読解と聴解」について述べています。その(1)と(2)から導かれた命題も「読解と聴解」について述べています。さらに、(3)も「読解と聴解」について述べています。ですから、「読解と聴解」について述べているということを明確にしておきましょう。
したがって、(a2)を「読解と聴解で受動的に処理する能力が十分に高く、内容理解ができる」と修正します。
図21.2.論理ピラミッドの作成例 画像クリックで拡大
さらに、(a1)「覚えている語彙数が十分で、馴染みのない単語等に出会っても推測でき、読解や聴解で内容理解に困ることはない」ことと、(3)「英文を文頭から読み聴き進めながら、処理ができ、内容が理解できる」ことは、要は、「英語の構造と表現」についてかなり「慣れている」ことを意味します。
図21.2.論理ピラミッドの作成例 画像クリックで拡大
こうして、(a2)「読解と聴解に困らないほどに英語の構造と表現に親しんでおり、英語を受動的に処理する能力が十分に高く、内容理解ができる」ことと整理できました。
これが、(A)「英語の受動的処理に関する能力」でグルーピングされた事実から導かれる上位命題となります。
今回は、論理的思考の基礎を身に付けるために、3つの命題を一緒に考えずに、ゆっくり丁寧に2つの命題ずつを考えました。論理的思考に慣れてきたり、自分の得意分野ならば、同時に3つ以上の命題を考えて導いても構いません。
次に、(B)「英語の能動的処理に関する能力」について見ます。
(B)の中に分類された(5)(6)(8)(9)を考えます。
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この4つの命題を見て気付くことは、(B)「英語の能動的処理に関する能力」の中でも、(5)と(6)のグループと、(8)と(9)のグループに小さく分けられるということです。
(5)「文法知識が正確で、知っている表現が豊富で、表したい内容を書き表すことができる」ことと、(6)「文法的に正しくとも、ネイティブが読んで英語らしい表現が完璧にできるわけではない」ことは、「英語の能動的処理に関する能力」の中でも、(B1)「書いて英語を表現する能力」について述べていることが分かります。
(8)「話す内容を考えながら英語を話すと、英語の言い間違いに気付くと焦りが生じ、徐々にグダグダになっていく」ことと、(9)「自分の意見を話すことが苦手であり、出題されてからの準備時間が短く対処できない」ことは、「英語の能動的処理に関する能力」の中でも、(B2)「話して英語を表現する能力」について述べていることが分かります。
このように、(B)「英語の能動的処理に関する能力」と大きくまとめられた(5)(6)(8)(9)は、さらに、(B1)「書いて英語を表現する能力」と(B2)「話して英語を表現する能力」という小さなまとまりに分けられます。
この小さなまとまりごとに、上位命題として何が導けるか検討してみます。
まず、(B1)「書いて英語を表現する能力」について考えます。つまり、(5)と(6)から共通して言えることは何でしょうか。
(5)「文法知識が正確で、知っている表現が豊富で、表したい内容を書き表すことができる」ことと、(6)「文法的に正しくとも、ネイティブが読んで英語らしい表現が完璧にできるわけではない」ことからは、(b1)「基本的に正しい表現で論述できるが、英語らしい表現が完璧にできるわけではなく、不自然な表現を書いてしまうことも少なくない」ことが上位命題として導けます。
図21.2.論理ピラミッドの作成例 画像クリックで拡大
こう言いましたが、少し違和感を覚えるかもしれません。(5)と(6)が矛盾しているように感じるからです。ですから、詳しく見ておきます。
(5)「文法知識が正確で、知っている表現が豊富で、表したい内容を書き表すことができる」ことからは、「英語を正しく表現できる」、「英語の表現が豊富である」、「英語で自分の言いたいことを表せる」ということが読み取れます。
したがって、(5)からは、(b1.1)「英語を正しい表現で論述できる」ことが分かります。
これは自分のできることであり、良いことだと言えます。
それに対して、(6)「文法的に正しくとも、ネイティブが読んで英語らしい表現が完璧にできるわけではない」ことからは、(b1.2)「英語を正しく表現できない」ということが読み取れます。
これは、自分のできないことであり、悪いことだと言えます。
そして、(5)から読み取れたことと(6)から読み取れたことは、矛盾しています。
一方では(b1.1)「英語を正しい表現で論述できる」と言っているのに、他方では(b1.2)「英語を正しく表現できない」と言っていることになっています。「正しく表現できる」のに「正しく表現できない」とは、是れ如何に? といった感じです。
したがって、解釈が必要になります。
解釈の方法
解釈とは、矛盾すると思われることを、矛盾なく説明することです。一見すると矛盾することを矛盾なく解釈する方法は色々ありますが、大きく2つの方法を押えておけばいいでしょう。
1つ目の解釈する方法は、弁証法です。
弁証法ですから、正―反―合の関係で物事を考えることで、解釈する方法です。
真である A という事実があり、それを否定する真である B という事実があるとき、1段階高次の事実であるCが存在すると考えることになります。正が A、反が B、合が C です。
図9.1.1弁証法
2つ目の解釈する方法は、場合分けして解釈することです。
その場合分けの応用としての原則と例外の関係で解釈すれば上手く行く場合が多いです。
場合分けは、ダブりなくモレなく(MECEに)考えることと似ています。
矛盾するように見えるものについて、その矛盾しているように見える原因は、そもそも分類されている範疇(カテゴリー)が異なるのだと考えるからです。
このことについて少し説明しておきます。
今、A と B という2つの矛盾する事実があるとします。
A と B とが矛盾するが A も B も真である(正しい)とすると、これをどう解釈すればいいかを考えなければなりません。
図21.6.場合分けによる解釈の方法
このとき、A と B が矛盾していますが、よくよく考えてみると、A が述べている場合と B が述べている場合が異なることに気付くことがあります。
つまり、A と B が矛盾しているように思えるのは、A と B の両方が、1つの同じ場合に属していると考えているからだと言えます。
図21.6.場合分けによる解釈の方法
そこで、A と B が、1つの同じ場合に属しているのではなく、実際には、異なる2つの場合に属していることに気付く必要があります。
したがって、明確には述べられていないが、よく考えてみると、αの場合は A であり、それとは異なるβの場合は B であるというように考えます。
図21.6.場合分けによる解釈の方法
そうすれば、A と B という2つの事実が異なる場合αとβに棲み分けされているので、矛盾なく説明できることになります。
例えば、現代の日本を含む先進国では、平等を謳いながら貧富の格差があります。あまりに酷い貧富の格差は問題になりますが、それも程度問題の面があり、平等と格差のどちらとも正しいことだと認められています。
平等とは、皆が同等であり、対等であることを意味します。
格差は、平等とは逆の意味であり、人それぞれに差があることを意味します。
英語にすると、平等は equality で、格差は inequality となります。ですから、格差は不平等と日本語に訳した方が適切かもしれません。
図21.7.場合分けによる解釈の事例
この平等と格差が、もっと詳しく言えば、「人間は平等でなければならない」ことと「人間は能力に応じて利益を受けるべきだ」という2つの言説が正しいことだとされています。これは矛盾します。
それでは、一方では平等が正しいことなのに、他方では格差も正しいこととされている、この矛盾についてどのように考えるかです。
矛盾するときは、場合分けをして考えるのが良かったので、場合分けをして考えましょう。
さらに具体的に言えば、平等と格差が同時に同じ場合に認められるのではなく、平等が真である場合と格差が真である場合があると整理して考えることになります。
結論から言えば、機会の平等を認め、結果の格差を認めるということになります。
まず、平等が正しいことだと認められるのは、何かを始めたり、何かを行う場合です。
これを機会の平等と言います。
図21.7.場合分けによる解釈の事例
性別や人種、社会的地位等によって差別され疎外されることなく、すべての人が同じよう扱われることになります。もちろん、学力や資格によって入れる学校や会社は決まってきますが、その学力や資格を手に入れるための教育等を受ける段階では、誰もが同じように扱われて、公平な競争がなされなければならないと考えられています。
皆さんも、入試で不合格になる場合、それは純粋に学力の問題であって、あなたの性別に関係なく、親の年収や地位に関係なく、平等に扱われているはずです。あっ、ちなみに天皇陛下は例外です。憲法上も、最初の最初である第1条に日本国の象徴として規定されており、私達一般人が持つ基本的人権が適用されない、異なった形で規定されています。
さて、平等が適用される場合が、何かを開始する段階などの機会についてだと分かりました。これに対して、格差が認められるのは、結果についてです。
図21.7.場合分けによる解釈の事例
学校にしろ就職にしろ、挑戦する機会は基本的に制限されずに平等に扱われることが保障されていますが、実際に志望校に入学できるか、希望職種に就けるか、といった結果については保障されていません。学力が低い人は、いわゆる難関大学に入れなくても仕方ない。学歴がなかったり資格がなければ、いわゆる大企業に入れなくても仕方ない。
このように、個人個人の能力によって結果が異なってもいい、つまり、不平等や格差が生じることも是認されます。
結果については、平等が正しいのではなく、格差が正しいことになります。
なぜ結果の平等が認められないのかは、能力が高い人が能力が低い人と同じ扱いをされること自体が不平等であると説明されます。
勉強でも、100点取れる人と30点しか取れない人が同じ成績で評価されたら、真面目に勉強することが馬鹿らしくなります。仕事でもそうです。100の成果を出すデキル人が、30の成果しか出さないデキナイ人が同じように扱われたら、デキル人は手を抜き始めます。
このように、能力に関わらず結果が同じになると、誰も頑張らなくなってしまいます。人間は、如何にサボるか、楽するかという方向に進んで行きます。そうすると、社会は停滞しますし、全体として豊かな生活は送れなくなります。
こういった理由から、結果については、平等ではなく格差も良しとなります。
以上のように、平等と格差という一見すると矛盾する概念が、適用される場面を「機会について」と「結果について」に分けることで、どちらも正しいと言えるように解釈できました。
このように、一見する矛盾する命題があるとき、場合分けをして考えてみるといいです。
ちなみに、平等と格差が適用される場面が異なり、どちらも認められることが分かりましたが、平等も格差も両方とも行き過ぎたら良くありません。アリストテレスも孔子もブッダも皆中庸を述べています。有り体に言えば、何事も極端に振れることなく、ほどほどが良いものです。
それでは、平等と格差が行き過ぎるとどうなるのでしょうか。
平等が行き過ぎると、何から何まですべてが同じでないといけなくなります。
個性を一切無視して、全く同じように扱うこと、つまり、画一化になります。英語では conformity と言います。
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画一化は全体主義に繋がって行きます。個人が全体と違うことをすることが認められなくなります。皆が同じ様に暮らし、同じことをしないといけなくなります。
逆に、格差が行き過ぎると、個人の能力とは無関係である差も認められることになり、機会の平等すら保障されなくなります。
これは、個人の能力を超えた属性、人種や身分や社会的地位によって、扱いが異なるので、差別になります。英語では discrimination と言います。
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格差が広がり過ぎると、何かを始める上で必要な教育や資金等がないのも当たり前で、そうした差があっても悪いことではないことになります。と言うことは、親が裕福なら子も裕福で、親が貧しければ子も貧しいと、格差が固定化されていき、一種の身分制度のようになります。身分制度は特別扱い、あるいは、不当な扱いであり、差別に繋がって行きます。
このように、社会正義については、平等 equality、格差 inequality、この2つを中心として考えることになります。
どこまでが認められる平等 equalityであり、どこから認められない画一 conformity なのか。
どこまでが認められる格差(不平等) inequalityであり、どこから認められない差別 discrimination なのか。
「平等はすばらしいもので、格差はいけないこと」といった言葉の持つ印象に頼った単純な考えではなく、一体どこまで許容されるものなのかを自分なりに考えてみるといいでしょう。
話を場合分けによる矛盾の解消に戻します。
この矛盾する命題を場合分けして解釈するの基本として、αの場合を原則、βの場合を例外とすれば、原則と例外の関係になります。
図21.8.場合分けによる解釈の方法2
このとき、多くの場合、「原則として〜であるが、例外として…である」といった文句になります。その変形として、「一般的に〜ではあるが、稀に…のときもある」といった表現になったりします。
あるいは、原則の場合について、特に何も付けずに「〜である」として、例外の場合については、その例外の条件を付して「…の場合は―である」とすることもあります。
例えば、法律では、原則を書いた後に、但書で例外規定が置かれることが多いです。
日本国憲法第45条「衆議院議員の任期は、四年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する」というのを例にとって考えてみましょう。
原則は、最初の「衆議院議員の任期は、四年とする」です。衆議院議員の任期は原則として4年だということを述べています。
そして、後半の「但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する」というのが例外規定になっています。衆議院解散があった場合には、原則である4年の任期が終わる前に任期が終わることを述べています。
これなら、「衆議院議員の任期が4年で終わる」ことと、「衆議院議員の任期が4年未満で終わる」ことは矛盾しなくなります。
このように、条件が何もない場合が原則としてまずあり、何か特別な条件が成立した場合は例外として原則が当てはまらないことを示しています。
少し長くなってしまいましたが、それでは、論理ピラミッドの構築に話を戻しましょう。
(5)と(6)がそれぞれ述べている(b1.1)「英語を正しい表現で論述できる」ことと(b1.2)「英語を正しく表現できない」ことを解釈するとしたら、どうやら原則と例外の関係であると考えれば矛盾が解消されそうだと見当をつけます。
(5)「文法知識が正確で、知っている表現が豊富で、表したい内容を書き表すことができる」こと、つまり、(b1.1)「英語を正しい表現で論述できる」ことからは、「英語を正しく表現できる」能力が「かなり高い」ことが読み取れます。
(6)「文法的に正しくとも、ネイティブが読んで英語らしい表現が完璧にできるわけではない」こと、つまり、(b1.2)「英語を正しく表現できない」ことからは、「英語を正しく表現できる」能力が「不完全である」ことが読み取れます。
したがって、原則として「英語を正しく表現できる」が、例外として「英語を正しく表現できない」ことがあるのだと考えることができます。
つまり、(5)が原則で、(6)が例外となります。
これを踏まえると、「文法知識が正確で、知っている表現が豊富で、表したい内容を書き表すことができる。ただし、文頭的に正しくとも、ネイティブが読んで英語らしい表現が完璧にできるわけではない」となります。
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これは(5)と(6)を単純に矛盾なく繋げただけなので、長ったらしいですし、何が言いたいのかも要領を得ません。ですから、「要するにどういうことなのか」を考えて簡潔にまとめます。
そうすると、(b1)「基本的に正しい表現で論述できるが、英語らしい表現が完璧にできるわけではなく、不自然な表現を書いてしまうことも少なくない」とできます。
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原則としては(b1.1)「英語を正しく表現できる」が、それが完璧なのではなく、例外として(b1.2)「英語を正しく表現できない」こともあるということが分かります。
今は、本質的な問題が何なのかを明らかにするという目的達成志向をしているので、原則として「正しい表現で論述できる」ことよりも、例外であっても「正しく表現できない」という「困ったこと」を詳しく述べるようにしています。
このようにして、(5)と(6)からは、(b1)「基本的に正しい表現で論述できるが、英語らしい表現が完璧にできるわけではなく、不自然な表現を書いてしまうことも少なくない」ことが上位命題として抽象化でき導けました。
図21.2.論理ピラミッドの作成例 画像クリックで拡大
次に、(B2)「話して英語を表現する能力」について考えます。したがって、(8)と(9)を考えることになります。
(8)「話す内容を考えながら英語を話すと、英語の言い間違いに気付くと焦りが生じ、徐々にグダグダになっていく」ことからは、(b2.1)「英語を考えながら話すことが上手くいかない」ことが読み取れます。
(9)「自分の意見を話すことが苦手であり、出題されてからの準備時間が短く対処できない」ことからは、(b2.2)「短い準備時間では、英語で話す内容をまとめることが上手くない」ことが読み取れます。
(8)も(9)も「話し手英語を表現する能力」が低いことが読み取れます。
そうすると、(8)と(9)から共通して言えることは、「英語を話すことが上手くない」となります。
英語を話すことが上手くない |
しかし、これでは少し抽象化し過ぎです。
「英語を話すことが上手くない」ことは分かりますが、具体性がなさ過ぎて、どのように「英語を話すことが上手くない」のかがまったく分かりません。
ですから、(8)と(9)の「英語を話すことが上手くない」ことについての内容を簡潔にまとめて付け加えてやります。
(b2.1)「英語を考えながら話すことが上手くいかない」ことと(b2.2)「短い準備時間では、英語で話す内容をまとめることが上手くない」ことから、この2つに共通することを抽象化すると、「英語を話すことが上手くない」のは「反射的に答え続ける」ときだということが導けます。
反射的に答え続けるとき、 英語を話すことが上手くない |
そうすると、(8)と(9)からは、(b2)「考えながら話し、なおかつ、非常に短い時間で反射的に答え続けなければならない場合に上手く対処できない」ことが上位命題として抽象化でき導けます。
図21.2.論理ピラミッドの作成例 画像クリックで拡大
それでは、(b1)「基本的に正しい表現で論述できるが、英語らしい表現が完璧にできるわけではなく、不自然な表現を書いてしまうことも少なくない」ことと(b2)「考えながら話し、なおかつ、非常に短い時間で反射的に答え続けなければならない場合に上手く対処できない」ことに共通して言えることは何でしょうか。
(b1)「基本的に正しい表現で論述できるが、英語らしい表現が完璧にできるわけではなく、不自然な表現を書いてしまうことも少なくない」ことから、「基本的に、論述で、英語を正しく使うことができる」ことと、「一部、不自然な英語で表現を書く」ことが読み取れます。
(b2)「考えながら話し、なおかつ、非常に短い時間で反射的に答え続けなければならない場合に上手く対処できない」ことから、「英語を上手く話せない」ことが読み取れます。
しかし、「考えながら話し、なおかつ、非常に短い時間で反射的に答え続けなければならない場合に」という文言があるので、そうではない場合、つまり、「少し時間に余裕があれば」、「英語を正しく話すことができる」とも考えられます。
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そうすると、2つの下位命題から、「論述と口述」でも「基本的には英語を正しく使うことができる」ことが分かります。
そして、基本的にはできたとしても、「表現が不自然なこともある」ことも共通しています。
この2つからは、「英語を能動的に処理する能力は十分に高いとは言えない」と結論付けられます。
これは、(A1)「読解と聴解に困らないほどに英語の構造と表現に親しんでおり、英語を受動的に処理する能力が十分に高く、内容理解ができる」こととの対比にもなっています。
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ですから、(b3)「論述や口述で、英語を正しく使うことが基本的にできるが、表現が不自然なこともあり、英語を能動的に処理する能力は十分に高いとは言えない」とまとめることができます。
図21.2.論理ピラミッドの作成例 画像クリックで拡大
しかし、これでは「口述」について、下位命題の(b2)に含まれている「できないこと」が少し抜け落ち過ぎているように感じられます。
さらに、「論述と口述」について、共通して言えることは、「能動的に処理する能力が十分に高いとは言えない」ことですが、「論述」と「口述」を比較すると、両者を一括りにするには、「口述」の処理能力が低いことが分かります。
ですから、「口述の処理能力の低さ」についての内容を少し追加したいと思います。
したがって、(b2)「考えながら話し、なおかつ、非常に短い時間で反射的に答え続けなければならない場合に上手く対処できない」ことを要約します。
「論述」でも「口述」でも「表現が不自然なこともある」ことを踏まえつつ、「能動的に処理する能力が十分に高いとは言えない」ことを意識しながら要約します。特に「論述」と「口述」の相違点を意識しながら要約します。
なぜならば、「論述」と同列に扱うには処理能力が低く過ぎると考え、「口述」について内容を追加しようと思ったからです。
結論から言えば、要約すると、「瞬発的で取消が効かないまま続ける口述が苦手である」となります。
(b2)「考えながら話し、なおかつ、非常に短い時間で反射的に答え続けなければならない」ことから、「瞬発的に」英語を表現することが抽象化できます。
「考えながら話す」のも「非常に短い時間で反射的に答え続ける」のも、とにかく一瞬で英語で表現することを思いつき、即座にそれを英語で表すことを繰り返す必要があるからです。
さらに、「論述」と「口述」との比較を考えると、「取消が効かない」ことが導けます。
「論述」では書くので、間違えれば訂正して書き直すことができます。しかし、「口述」では一度言葉に出すと、修正できません。もちろん、発言したことを撤回して言い直すことはできます。が、しかし、それは言い直しただけであり、誤った発言をしたということは残ります。これが「論述」と「口述」の違いです。
以上をまとめると、(b3)「論述や口述で、英語を正しく使うことが基本的にできるが、表現が不自然なこともあり、英語を能動的に処理する能力は十分に高いとは言えず、特に瞬発的で取消が効かないまま続ける口述が苦手である」となります。
図21.2.論理ピラミッドの作成例 画像クリックで拡大
英語を話すことに苦手意識を特に持ちやすいのは、発言内容の誤りにしろ文法的な間違いにしろ何であれ、一度発言すると、それが取り消せずに、間違えたことに意識が引っ張られてしまい、泥沼に嵌まって行くことがあるからです。慣れない言語で話しているため、話している最中に「ヤバッ、今間違えた」と思ってしまうだけで、処理を著しく妨げられます。「ヤバッ」と思っている間にも英語を話し続けなければいけないため、かなり大変なことになります。
話が英語を話すことについて逸れたので、戻します。
こうして、(5)(6)(8)(9)からは、(b3)「論述や口述で、英語を正しく使うことが基本的にできるが、表現が不自然なこともあり、英語を能動的に処理する能力は十分に高いとは言えず、特に瞬発的で取消が効かないまま続ける口述が苦手である」ことが整理できました。
これが、(B)「英語の能動的処理に関する能力」でグルーピングされた事実から導かれる上位命題となります。
次に、(C)「英語の論理処理に関する能力」について見ます。
(C)の中に分類された(4)(7)(10)を考えます。
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いきなり、(4)(7)(10)を一度にまとめて上位命題を考えてもいいのですが、1つの命題から1つの上位命題を導くという練習をしたいと思います。
今まで2つ以上の命題から1つの上位命題を導いてきましたが、1つの下位命題から1つの上位命題を導く場合もあるためです。
1つの命題を下位命題として、それから1つの上位命題を導くのは、その下位命題の抽象度を上げて、他の命題との抽象度を揃えるためです。
2つ以上の下位命題から1つの上位命題を抽象化するとき、2つの下位命題の抽象度があまりにズレていたら、上手く抽象化できないことがあります。1つの下位命題がかなり具体的であり、もう一方の下位命題がそれよりはかなり抽象的な場合が、これに当てはまります。
「教科」を例にとって考えてみましょう。
例えば、「日本史」と「倫理」からは、「社会科」と抽象化できます。
図21.9.1つの下位命題から上位命題を導く
それでは、「日本史」と「公民」から何が抽象化できるか? こう考えると困る人が多いかと思います。
図21.9.1つの下位命題から上位命題を導く
「日本史」が教科の1つである科目に対して、「公民」は教科であり、「倫理」や「政治・経済」などの複数の科目をまとめた抽象度の高いものであるため、「日本史」と「公民」を抽象化し辛く感じるからです。
確かに「日本史」と「公民」から「社会科」を導いても良い場合もありますが、特段条件を設けず常識の範囲で考えると、2つの概念の抽象度のズレが大きいため、すんなりと受け入れられなく感じてしまいます。
図21.9.1つの下位命題から上位命題を導く
そこで、「日本史」から「地理歴史」という1つ抽象度の高い概念を導入すれば、「地理歴史」と「公民」から「社会科」が抽象化できます。
図21.9.1つの下位命題から上位命題を導く
また、「日本史」から「地理歴史」を導きましたが、「日本史」1つだけから「地理歴史」を導いては、具体例として弱いと感じるなら、他に具体例はないかと探すことになります。そこで「地理歴史」に相応しい具体例として「世界史」や「地理」を見つけてくればいいことになります。
図21.9.1つの下位命題から上位命題を導く
このように、1つの命題を1段階抽象度を上げる上位命題を導くことで、他の命題との抽象度を揃えることがあります。
そして、抽象度を上げるために上位命題を導くことで、下位命題がより具体的にもなります。
そして、これは、更なる上位命題を考えるための下準備とも言えます。
それでは、(4)「流れを予測しながら読んだり聴いたりできるほど、英語の話の展開に慣れており、内容の要点を上手く押さえられる」ことを抽象化、あるいは、要約すると何と言えるでしょうか。
「読んだり聴いたり」という文言から、「読解と聴解」について述べていることは分かります。
「流れを予測したり」や「英語の話の展開」といった文言から、「英語の論理展開」について述べていることも分かります。
そして、「流れを予測しながら読んだり聴いたりできるほど、英語の話の展開に慣れて」いることから、その「読解と聴解」における「英語の論理展開」についての「処理能力が高い」と言えます。
「内容の要点を上手く押えられる」ことは、そのまま「内容の要点を押えられる」としておけばいいでしょう。
まとめると、(c1)「英語の論理展開を予測しながら読解と聴解をし、内容の要点を押えられる」となります。
ここまでやっておいて言うのもなんですが、今回は1つの命題から上位命題を導く意味はあまりありません。それは、(4)と(7)(10)とで抽象度の次元がほとんどが変わらないからです。
さらに今回は、(4)から導かれた(c1)は少し抽象度が上がっていますが、内容はそこまで変化していません。
これは、他に何の前提もないので、抽象度を一気に引き上げるのを控えたからです。なぜならば、抽象度を一気に上げ過ぎると、論理が飛躍することが多くなるからです。このことには気を付けないといけません。
1つの下位命題から上位命題を導くとき、常に論理が飛躍していないかに注意を向けます。
もし論理が飛躍していそうなら、他に前提となる理論や命題を持ちいて導いている可能性があります。その場合は、理論を前提として論理ピラミッドに書き込むかどうかは別としても、意識しておかないといけません。
例えば、「2つの角の和が120°である三角形」という命題から「残りの1つの角は60°」という上位命題を導いたとします。
このとき、本来なら「三角形の内角の和は180°」という命題が必要ですが、あまりにも当たり前なので、学問の場でない日常では明示しないことがよくあります。
このように、1つの下位命題から上位命題を導いて論理が飛躍してしまう場合、隠れた前提が何かないかを考えてみるといいでしょう。隠れた前提が見つかれば、論理をより厳密にできます。
今回はただ、1つの下位命題から上位命題を導くことを経験しておいて欲しかったので、敢えてこのようなことをしました。
それでは、(c1)「英語の論理展開を予測しながら読解と聴解をし、内容の要点を押えられる」、(7)「意見論述、要約ともに、英語の論理に従って過不足なく書き表すことができる」、(10)「話す前に内容の大枠を論理立てられるが、話し始めたら、英語表現と話すべき内容を同時処理できず、混乱する」、この3つの命題から上位命題として何が導けるでしょうか。
どの命題を見ても、「論理展開における処理能力」について述べています。
そして、(c1)から「読解と聴解」における「論理処理能力」は高いことが分かります。
(7)から「論述」における「論理処理能力」は高いことが分かります。
しかし、(10)から「口述」における「論理処理能力」が微妙なところになります。
他の分野と比較して、「論理処理能力」が高いと言えなさそうですが、単純に低いとも言えなさそうです。
少し検討してみましょう。
「論述」も「口述」も能動的処理であり、何かを表現する前の自分の考えをまとめる段階では、論理の構築の仕方に大差はありません。
実際に(10)を見ると、「話す前に内容の大枠を論理立てられる」とあります。
したがって、「口述」においても「論理処理能力」が一応は高い、とも言えそうです。
しかし、(10)の後段の「話し始めたら、英語表現と話すべき内容を同時処理できず、混乱する」ことから、話し始める前に論理展開を上手く構築できたのに、その論理展開を忠実に話すことができないのが読み取れます。
このことから、「口述」では、「論理処理能力」について、「論理展開を構築する段階」では十分に高いが、「考えた論理展開を実行する段階」では低いことが分かります。
以上の(c1)(7)(10)から分かったことをまめます。
受動的処理である「読解と聴解」も、能動的処理である「論述と口述」も、「論理展開」の処理能力が高いことが導けます。
したがって、(c2)「英語の論理展開に慣れており、読解、聴解の受動的な処理と論述の能動的な処理が適切に行える」と要約します。
図21.2.論理ピラミッドの作成例 画像クリックで拡大
しかし、「口述」に関しては問題点があり、構築した論理をそのまま話すことができません。
したがって、このことを先程の要約の後ろに付け加えます。
そうすると、(c2)「英語の論理展開に慣れており、読解、聴解の受動的な処理と論述の能動的な処理が適切に行えるが、口述になると考えた論理をそのまま出せない」となります。
図21.2.論理ピラミッドの作成例 画像クリックで拡大
これが、(4)あるいは(c1)、(7)(10)から導かれる上位命題となります。
つまり、(C)「英語の論理処理に関する能力」でグルーピングされた事実から導かれる上位命題です。
こうして、(A)「英語の受動的処理に関する能力」、(B)「英語の能動的処理に関する能力」、(C)「英語の論理処理に関する能力」の各グループの上位命題が出揃いました。
図21.2.論理ピラミッドの作成例 画像クリックで拡大
この3つの上位命題から、最上位命題を導くことになります。
その最上位命題が、本質的な問題となります。
一体何が本質的な問題なのでしょうか。
(a2)「読解と聴解に困らないほどに英語の構造と表現に親しんでおり、英語を受動的に処理する能力が十分に高く、内容理解ができる」については、特に問題がないことが分かります。
つまり、この(a2)が問題を直接的に引き起こしているとは考えられないことになります。
(b3)「論述や口述で、英語を正しく使うことが基本的にできるが、表現が不自然なこともあり、英語を能動的に処理する能力は十分に高いとは言えない」については、そこまで高くないことが分かります。
「論述と口述」に共通して、英語として不自然な表現をしていしまうことがある点で処理能力に課題を抱えています。
さらに、「口述」については、「瞬発的で取消が効かないまま続ける」場合に処理ができないという問題があります。
(c2)「英語の論理展開に慣れており、読解、聴解の受動的な処理と論述の能動的な処理が適切に行えるが、口述になると考えた論理をそのまま出せない」については、「口述」とそれ以外で明暗がハッキリと湧かれています。
「読解」、「聴解」、「論述」では論理展開を上手く処理できますが、「口述」は論理を構築するとこまではできても、それを忠実に口頭で表すことができません。
これを「読解」、「聴解」、「論述」、「口述」の4分野について、その分野の英語の「処理力」と「論理力」を表にするとこのように整理できます。
まったく問題がなければ○を、一部問題があれば△を表に入れて埋めています。
図21.10.処理と論理の能力表
処理力 | 論理力 | |
読解 | ○ | ○ |
聴解 | ○ | ○ |
論述 | △ | ○ |
口述 | △ | △ |
こうして見ると、「口述」について、「処理」にも「論理」にも問題(△)があるため、問題が大きくなっているのではないか、と見当がつきます。
何が問題点なのか大分見えてきました。
まず、問題点の1つとして、「読解と聴解という受動的な処理能力に比べて、英語らしい自然な表現を表す能動的な処理能力が不足している」とまとめられます。
図21.2.論理ピラミッドの作成例 画像クリックで拡大
さらに、「口述」については、「組み立てた論理に沿って瞬間的で持続的に英語を表現する能力が不足している」ことが特に問題です。
図21.2.論理ピラミッドの作成例 画像クリックで拡大
この2つを結合して、「読解と聴解という受動的な処理能力に比べて、英語らしい自然な表現を表す能動的な処理能力が不足しており、特に口述で組み立てた論理に沿って瞬間的かつ持続的に英語を表現する能力が不足している」となります。
これが最上位命題となります。
そして、本質的な問題でもあります。
つまり、複数の連続的に現れる「困ったこと」が集約され、抽象化されたものになっています。
したがって、複数の「困ったこと」が生じている本質的な原因でもあります。
図21.2.論理ピラミッドの作成例 画像クリックで拡大
このとき、注意してもらいたいことがあります。
最上位命題が、悪さ加減や、問題の程度を示す表現になっておかないといけません。
「困ったこと」の本質的な問題や原因を特定しようとしている段階なのに、たまに先走って「分かった! これを解決すればいいんだ!」と考えて、「〜を解決すべき」や「〜が必要だ」といった表現にしてしまうことがあります。
今の例で言えば、「英語らしい自然な表現を表す能動的な処理能力を高める必要がある」といった表現にしてしまうことです。
本質的な問題を発見するという目的達成志向の下に、最下位命題から順番に最上位命題を導いたのに、「悪さ加減」ではなく「解決すべき項目・課題」が現れるのは、論理的におかしいです。
前提となる下位命題群には、「困ったこと」や単なる事実しかないはずです。
それなのに、最後の命題に「解決すべき」や「必要がある」といった表現が現れるのは、論理的におかしいことが分かります(第16章 論理ツリー - why ツリー- 4 why ツリーによる本質的原因の特定参照)。
もし仮に、どこかで前提にない「解決すべき」といった思考が紛れ、そちらに流されると、確固とした事実に基づいた問題の現状分析が歪められていることになります。
こうしたことを踏まえて、本質的な問題を特定する段階では、何が問題なのかを特定することに集中すべきです。
本質的な問題が特定できたら、それを裏返して課題化するという手順をとった方が安全ですし、確実です。手順を省略するのは避けて、本質的な問題の発見→課題化という手順を守るようにしてください。
ちなみに、課題化する場合には、命題を裏返せばいいので、「読解と聴解という受動的な処理能力に比べて、英語らしい自然な表現を表す能動的な処理能力を同程度まで上げ、特に口述で組み立てた論理に沿って瞬間的かつ持続的に英語を表現する能力を高める必要がある」といった具合にすればいいでしょう。
以上で、論理ピラミッドを構築することで、「現象型」の問題を分析できました。
最上位命題に向かって、事実が積み重なっているのが分かります。
図21.2.論理ピラミッドの作成例 画像クリックで拡大
また、ピラミッドの各部分は、事実の性質に応じてグループでまとまっているのも分かります。
図21.11.論理ピラミッドによる論理構造 画像クリックで拡大
このように、論理ピラミッドで問題を分析すると、どの事実から何が言えるのか、どのような問題に繋がっているのか、関係性はどうなっているのか、といったことが一目で分かります。「現象型」の問題を分析するときは、本質的な問題と原因を発見するという目的達成志向の下に、論理ピラミッドを用いることが有効なことが理解できたかと思います。
(A)「英語の受動的処理に関する能力」については、特に問題がないことが分かります。つまり、これが問題を直接的に引き起こしているとは考えられないことになります。
(B)「英語の能動的処理に関する能力」については、そこまで高くないことが分かります。「論述と口述」に共通して、英語として不自然な表現をしていしまうことがある点で処理能力に課題を抱えています。さらに「口述」については、「瞬発的で取消が効かないまま続ける」場合に処理ができないという問題があります。
(C)「英語の論理処理に関する能力」については、「口述」とそれ以外で明暗がハッキリと湧かれています。「論述」、「聴解」、「論述」の論理展開を上手く処理行えますが、「口述」は論理を構築するとこまではできても、それを忠実に口頭で表すことができません。
4 問題が「構造型」か「現象型」か
論理ピラミッドを用いて「現象型」の問題をどのように分析すれば、本質的な問題や原因を特定できるかが分かったかと思います。
ところで、「現象型」の問題とよく似た問題の類型として「構造型」の問題がありました。
「構造型」の問題とは、複数の事象がそれぞれ何かしらの機能を果たしつつ、相互に関係して複数の「困ったこと」が連続的に現れる、という結果を引き起こしている問題でした。
「構造型」の問題を考える際には、原因と結果の構造を明らかにすることが重要でした。それには、因果関係図が役に立ちました。
しかし、「構造型」の問題ならば因果関係図で分析すればよいと知っていても、そもそも複数の「困ったこと」が「構造型」の問題だと判断できないと始まりません。
その分野に通じていたり、長年の経験から適切な問題の解決策が明らかな場合ならば、問題を「構造型」の問題だと認識できるでしょう。が、しかし、そうではない場合、複数の「困ったこと」が生じている問題が「構造型」なのか「現象型」なのかを分析する前に判断することはできません。
つまり、問題が「構造型」であるか「現象型」であるかは分析した結果として分かることなのに、
分析前では、因果関係図を使って分析するべきか論理ピラミッドを使って分析するべきかが分からないため、
問題の分析をいつまで経っても開始できないことになります。
分析するのに分析の結果が必要という循環に嵌まってしまいます。
図21.12.構造型か現象型か
そこで、この「問題の型が分からない→分析方法が分からない→問題が分析できない→問題の型が分からない→…」という循環を断ち切るために、「現象型」の問題と暫定的に考えて、論理ピラミッドを用いて分析を開始することにします。
図21.12.構造型か現象型か
この理由は簡単です。
「現象型」の問題では、論理ピラミッドを使うことで、因果関係があるかないかが分からない中でも、現象を現象として捉えて客観的な事実を積み上げて行きながら、本質的な問題を特定することができました。
これならば、因果関係が明確に分からなくとも、本質的な問題と原因が特定できます。
そして、分析して行く過程で、因果関係が明らかになったり、構造が分かったならば、「現象型」の問題と捉えた暫定的な考えを修正して、「構造型」の問題として分析をし直せばいいわけです。
図21.12.構造型か現象型か
では、なぜ「構造型」の問題だと暫定的に考えて、因果関係図を用いて分析を開始しないのだろうか、と思う人もいるでしょう。
「構造型」の問題では、事象の間に原因と結果の関係、つまり、因果関係があることを前提にしています。しかし、世の中には、因果関係が明確に認められない問題の方が多いです。何でもかんでも、明確に分かっていることがの方が少ないんですね。
もし最初に「構造型」の問題と考えてしまうと、因果関係があるかどうか不明瞭なのに、因果関係があることを前提に分析をしていくことになります。これでは、因果関係が認められない事実に無理矢理因果関係を認めることになり、問題を正しく捉えられず、歪めてしまうことになります。
また、因果関係図の特徴として、重要な事実のみを取り出して、その関係を図示することが挙げられます。
したがって、何が問題かよく分かっていない段階では、その問題に対して、考慮しないでもいいような非常に細かい事実であったり、大して重要ではない事実であったりしても、区別がつきません。
もし最初から「構造型」の問題と仮定したら、こうした瑣末な事柄も考慮して因果関係図を作ることになります。
そうすると、因果関係図が巨大で複雑なものになり、全体の理解が難しくなっていきます。
これでは、複雑でよく分からない問題を理解しようとしているのに、それができなくなってしまいます。
論理ピラミッドなら、少々瑣末なものでも客観的な事実を抽象化することで、重要な事柄を抽出して行けます。重要な事実や事柄がある程度導ければ、それらを基にして因果関係図を作ることができます。
このような理由で、最初に「現象型」の問題として分析を開始することが勧められます。
そして、分析中に、因果関係があることが分かれば「構造型」の問題として、因果関係図で分析し直す。
因果関係があるかどうか曖昧なら、そのまま「現象型」の問題として、論理ピラミッドで分析を続けます。
複数の「困ったこと」が現れる問題の分析を開始する場合に、「構造型」の問題なのか、「現象型」の問題なのか判断がつかないとき、まずは「現象型」の問題として論理ピラミッドで分析を開始することを押えておいてください。
5 同一命題の複数使用
実際に論理ピラミッドを作ってみて分かったかと思いますが、下位命題から上位命題に伸びる矢印は1本です。これが原則にして、基本であり鉄則です。
しかし、今回はたまたま1つの下位命題からは1つの矢印しか出なかったのではないかと思う人もいるでしょう。これについて少し補足しておきたいと思います。
これから論理ピラミッドを使って問題を色々と分析していくと、どうしても1つの下位命題から複数の上位命題に向かって矢印が伸びることがあるかと思います。
本来1つの下位命題からは1つの矢印しか伸びないはずなのに、複数の矢印が伸びてしまうという事態です。これでは、1つの下位命題から1つの矢印という原則を破ることになります。
この事態に遭遇したとき、どのように考えて対処すればいいのでしょうか。
復習にはなりますが、まず押さえておくべきことは、下位命題と上位命題の関係を相対的に見ると、下位命題が具体的な命題で、上位命題が抽象的な命題です。
つまり、具体的な下位命題を抽象化することで、抽象的な上位命題が導かれることになります(第4章 演繹法 2 一般・普遍・抽象と個別・特殊・具体参照)。
それでは、抽象化とは一体何だったでしょうか。
抽象化とは、具体的な物事に含まれる様々な性質の中から、特定の性質のみを抜き出すことでした。
そして、具体的な物事の中で抜き出されなかった性質は、捨て去られます。これを捨象と言いました。
図4.1.抽象化と具体化
この抽象化を下位命題と上位命題に即して言えば、具体的な下位命題には様々な性質や要素が含まれています。
その様々な性質や要素を捨てて、ある特定の性質や要素のみを抜き出して、抽象的な上位命題を導くことになります。
したがって、同じ下位命題でも、性質や要素の抜き出し方が異なれば、導かれる抽象的な上位命題が異なることになります。
これを踏まえると、同じ下位命題から、同じ抽象化の仕方をして、複数の上位命題が導かれることは基本的には考えられません。
具体的な下位命題の要素に、A と B があり、これに基づいて抽象的な上位命題を導くとします。
下位命題から要素 A を抜き出して抽象化するならば、抽象的な上位命題の内容は A と表されます。
下位命題から要素 B を抜き出して抽象化するならば、抽象的な上位命題の内容は B と表されます。
下位命題から要素 A を抜き出して抽象化したのに、抽象的な上位命題の内容が B と表されることは有り得ません。
図21.13.抽象化による上位命題の変化
1つの下位命題から異なる上位命題が導かれるとしたら、それは、下位命題への注目の仕方が異なり、したがって、抽象化の仕方が異なることになります。
このことから、1つの下位命題から、1つの抽象化の仕方で導かれる上位命題は1つであると言えます。
したがって、論理ピラミッドで下位命題と上位命題を矢印で繋いで表すとき、1つの下位命題からは、1つの上位命題しか導けないのが原則になります。
この原則を守るために、論理ピラミッドを作成する際には、同一の下位命題から2つ以上の矢印を伸ばさずに、1つの上位命題にのみに伸ばすようにします。
もし、同一の下位命題から複数の上位命題を導く必要がある場合には、同一の下位命題を分割してより適切で具体的な表現に変えるか、同一の下位命題を矢印の数だけ配置するようにして、1つの命題から2本以上矢印を引かないようにします。
これは、抽象化の仕方が違うことを明確に意識するためでもあります。
つまり、同一の下位命題から矢印が2本以上伸びる場合、同一の下位命題をそのまま使うのではなく、その下位命題をもっと具体的に表現できないかと考える機会を提供してくれていると見なせます。
こうして、下位命題をより適切に具体的にできないかと考えることで、下位命題の異なる側面に気付く切っ掛けが得られます。
下位命題の異なる側面に注目していることに気付けば、同一の下位命題を分割して、より適切で具体的な表現に変えます。
下位命題の異なる側面に注目しておらず、同じ側面に注目しているのならば、まったく同じ命題を矢印の数だけ配置することになります。
このことについて、見てみましょう。
先程のように、具体的な下位命題の要素に A と B がある場合に、下位命題の内容を A としか表現していなかったとします。B は書き表していません。
このとき、下位命題の内容は A としか表されていないのに、無意識の内に要素 B で抽象化して上位命題を導くことがあります。
図21.14.抽象化における注意点
これは、命題をの内容には A としか記述していなくとも、その命題が意味する内容から要素 B を含むものと無意識に気付いているからできることです。
図21.14.抽象化における注意点
したがって、下位命題の内容に表されていないが、自分が使った要素 B とは一体何なのかを考えることで、同一の下位命題をより正確で具体的なものに修正できます。
図21.14.抽象化における注意点
例えば、「物理学は物体の動きを予測できる」ことから、2つの上位命題「移動したボールがどこに位置するかを必ず特定できる」ことと「移動した原子がどこに位置するかを確率的に特定できる」ことを導いたとします。
図21.15.同一命題からの抽象化1
このとき、「物理学は物体の動きを予測できる」ことが下位命題ですが、同一の下位命題2つの上位命題に矢印が伸びています。こ
れは、下位命題「物理学は物体の動きを予測できる」ことをもっと具体的に表現できないかと考える機会だと言えます。
一般に物理学とは、条件が正しく設定できれば、誰が見ても何時でも何回でも同じ結果が導けるという性質があります。
この物理学の性質は科学技術の発展にとって強力な武器です。条件さえ上手く設定すれば、誰でも何時でも何回でも同じ結果を導けるのだから、私達が実行したいことを好きな時に再現できることを意味するためです。だから、私達が高校で習う「物理」は理科系の科目の中でも中心的な役割を担っており、大学で理科系を学ぼうとする人のほとんどが履修することになっています。
この物理学の性質は、中卒程度の学力の人、物理をほとんど勉強していない人でも何となく分かることで、一般常識といってもいいでしょう。ですから、「物理学は物体の動きを予測できる」ことから「移動したボールがどこに位置するかを必ず特定できる」ことが導くことについて特段の疑問もないはずです。
これに対して、高校で「物理」を勉強すれば当然の理解になりますが、「物理学は物体の動きを予測できる」ことを認めつつも、原子とか電子とかいった人間の肉眼で確認できないような微小の世界になると、物体の位置が百発百中で予測できることが不可能になります。
「微小の世界」では、「物理学は確率的に予測できる」ことになります。「確率的に」とは、何%の確率でここに位置し、何%の確率であそこに位置する、といったことが分かるということです。
これは、一般常識的な物理学の100%の確率で位置が分かるのとかなり異なることになります。
100%物体の動きを予測できるから、誰でも何時でも何度でも同じ結果を得ることができ、それ故に物理学が学問として強力な武器になったのに、それが崩れるとなると、たまたま上手く行っただけだとも言えるようになります。物理学の最先端ではこのような問題を考えることになっています。
こうして、物理学には大きく2つの側面があることが分かります。
1つは、20世紀以前に発達し、私達が肉眼で確認できるような通常の世界で起きる物理現象についての物理学です。
ボールの運動といったものです。こちらでは、ニュートン力学が代表です。物体の動きが完全に予測できます。条件を整えれば、同じ結果を誰でも何時でも何度でも再現できます。これを「古典物理学」と呼びます。
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もう1つは、20世紀以後に発達し、私達が肉眼で直接は確認できない微小の世界で起きる物理現象についての物理学です。
原子や電子の運動といったミクロの世界での出来事です。こちらは量子力学が代表です。物体の動きは確率的にしか予測できないことになります。確率的にしか予測できないので、毎回同じ結果を再現できるわけではありません。これを「現代物理学」と呼びます。
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このことからも分かる通り、「古典物理学」では説明できない物理現象の世界が現れ、現代ではこちらの微小の世界の物理学が発達したので、20世紀以前の物理学を古いものとして「古典物理学」と呼ぶようになりました。別に時代遅れとかいった意味合いはなく、現代との相対化、区別しているだけで、「古典物理学」も現代で十分使えるものです。
そうすると、「物理学は物体の動きを予測できる」ことから、2つの上位命題「移動したボールがどこに位置するかを必ず特定できる」ことと「移動した原子がどこに位置するかを確率的に特定できる」ことを導きましたが、同じ物理学と言えども、物理学の異なる面に注目していることに気付きます。
「物理学は物体の動きを予測できる」ことから「移動したボールがどこに位置するかを必ず特定できる」ことを導く場合、これは一般常識の中にある物理学の面から導いてます。「古典物理学」の世界です。したがって、下位命題は、「古典物理学は物体の動きを予測できる」こととより具体的にできます。
図21.16.同一命題からの抽象化2
そして、「物理学は物体の動きを予測できる」ことから「移動した原子がどこに位置するかを確率的に特定できる」ことを導く場合、これは一般常識の中にある物理学の面ではない微小世界の物理の面から導いてます。「現代物理学」の世界です。
したがって、下位命題は、「現代物理学は物体の動きを確率的に予測できる」こととより具体的にできます。
図21.16.同一命題からの抽象化2
このように、同一の下位命題から2つ以上の矢印が伸びるとき、もしかしたら下位命題の中の異なる側面に注目していないかを考える必要があります。
仮に異なる側面に注目しているのならば、同一の下位命題を分割して、それぞれをより適切で具体的な表現にするように対処します。
しかし、同一の下位命題から2つ以上の矢印が伸びており、なおかつ、同じ側面に注目していることがあります。このときは、表現を変えようがありません。
ですから、このような場合、まったく同じ下位命題を矢印の数だけ配置するようにします。
これは同一の下位命題の同一の側面に注目していても、組み合わされる相手の下位命題が異なれば、抽象化の仕方も多かれ少なかれ変わってくるからです。
ですから、同じ側面に注目しているとは言え、まったく同じ抽象化になるわけではないので、同一の下位命題を複製する形で、矢印の数だけ配置するようにしておきます。
例えば、「空気中には酸素が存在する」ことと「食品は酸化すると風味が落ちる」ことから、「食品は空気にさらしておくと酸化して風味が落ちる」ことを導いたとします。
さらに、同じく「空気中には酸素が存在する」ことと、「脱酸素剤は酸素と非常に結合しやすい」ことから、「他の物と比べて、脱酸素剤は空気中の酸素を優先的に取り込む」ことが導いたとします。
図21.17.同一命題と他命題から抽象化1
このとき、2つの上位命題は、「空気中には酸素が存在する」ことが共通して下位命題になっています。
共通する下位命題ですが、1つの下位命題から2つの矢印が伸びています。
1つの下位命題から伸ばせる矢印は1本だけというのが原則なので、同一の下位命題を複製して2つに分割して、それぞれから矢印を上位命題に向けて伸ばします。
図21.18.同一命題と他命題から抽象化2
ちなみに、脱酸素剤とは、一部の食品に食べ物とは別に小さな袋が一緒に入っていることがありますが、あの小さな袋が脱酸素剤です。「食べられません」と書かれているあの小さな袋です。
脱酸素剤の中には、鉄等の酸素と結びつきやすい物質が入っています。食品と一緒に密封された袋の中に入れられていることで、袋の中の酸素が、食品ではなく、脱酸素剤と優先的に結合する様になっています。これで、食品の酸化を通常よりも抑えることができます。
もちろん、「空気中には酸素が存在する」ことが2箇所で使われており、同一の命題だと言っても、分子構造レベルの小さなところまで検討し始めたら、命題の表現は変わることもあります。
酸素が結合する相手が「食品」と「脱酸素剤」とでは異なるからです。どこまで命題を丁寧に具体的に言い表すかは、自分が問題をどの程度のレベルで、何を対象にしているのか、といった目的意識によって変わります。今回は、そこまで細かく見ていないので、まったくの同一命題として考えても差し支えのないものとしました。分子構造とか酸化反応といった詳しいことは、化学で学んでください。
以上のように、同一命題を複数使用する際には、1つの命題から複数の矢印が伸びることを避けるようにしてください。
そのために、異なる側面に注目していないかを考えて、より具体的に詳しく適切に表すようにするか、同一命題を必要な数だけ分割して配置するか、のいずれかを心掛けるようにしてください。
6 まとめ
論理ピラミッドを使用して、「現象型」の問題の分析する方法について説明をしました。
複数の「困ったこと」が連続的に現れていることは分かるが、明確に「これが問題だ」とは分からない「現象型」の問題について、手持ちの情報から本質的な問題を抽出するように論理を構築しました。具体的な下位命題から、「どういうこと?」と考えながら上位命題を導いていきました。
具体的な下位命題から抽象的な上位命題を導くだけではありません。上位命題から下位命題を探すこともあります。
ときには、ある下位命題からある上位命題が導けるだろうと予測できても、論拠となる下位命題が不足しているために、その上位命題を導くことが躊躇われる場合には、必要な下位命題が事実として確認できないか情報を収集することになりました。
さらに、論理ピラミッドを作るとき、1つの下位命題からは、複数の上位命題を導くことはせず、1つの上位命題を導くのが原則です。
したがって、同一の下位命題を複数個所に使用する際には、もっと具体的に詳しい命題にならないかと疑うことが大切でした。
同一命題でも異なる側面に注目していれば、その注目した側面に応じて命題の内容を適切に具体的に変更します。
それでも具体的に詳しい命題にならない、つまり、同一命題の同じ側面に注目しているのならば、そのまま同じ下位命題を複数個所に必要な数だけ配置するようにします。
1つの下位命題から導かれる上位命題は1つだけで、それ故に、下位命題から伸びる矢印も1本のみだという原則を守るように努めなければなりませんでした。
なお、複数の「困ったこと」が連続的に現れているので、論理ピラミッドを構築していく途中で、問題が「現象型」ではなく「構造型」であると気付いたら、因果関係図による分析に切り替えることも必要でした。
これで、論理ピラミッドの基本的な構造と使用法を理解でき、「現象型」の問題をどのように分析すればよいかも明らかになりました。
しかし、論理ピラミッドは問題分析以外にも、主張を論理的にしたり、文章を論理的に分析するのにも役に立ちます。このことを論理ピラミッドの学習の最後として、次章で学ぶことにします。
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